第八話「現し世は覚醒の慟哭(うぶごえ)」





いわく、生は苦である。

老は苦である。

病は苦である。

死は苦である。

嘆き、悲しみ、苦しみ、憂い、悩みは苦である。

怨憎するものに遇うは苦である。

愛するものと別離することは苦である。

求めて得ざるは苦である。

総じていえば、この人間存在を構成する五蘊はすべて苦である。





初転法輪は番星の軌跡によってにのみ成就され、尊い解脱は成されるであろう。









<「再臨詔」第8話「現し世は覚醒の慟哭(うぶごえ)」>




「よくもまたおめおめと姿を現したものだ。・・・一体何用だ。ここに迷いこませたのはお前だろう」


照明もろくにない、ぼんやりと浮かび上がる質素な石畳が敷き詰められている長い長い廊下で、短くも果てしなく長く沈黙が一触即発の 緊張を醸し出している。
抑圧する圧力を押し返すかのようにギリ、と刀を構え直し、忍人は目の前で悠然と佇むエイカという男に吐き捨てた。


「貴様らの狙う中つ国の姫はここには―――」

「―――いらっしゃいません。我が水晶が、そう告げていますゆえ」

「なら、何故こんな場所に誘いこんだ」


まさか中つ国残党軍の強さに臆して戦力分散を図ったのではあるまいな、と皮肉な微笑を浮かべて忍人はまた刀を握り替えた。
金色の身に反射した光がちらりとエイカの棺に当てられて、軟い闇にぼう、と浮かび上がる。


「・・・何もいえないか」

「・・・・・・」

「そうだろうな。土蜘蛛は癒す能力は特出していても、戦闘の能力は著しく劣っている。そんな貴様が俺を倒すために差し出されるとは・・・上官にでも見捨てられたか?」


忍人の嫌味にぴくり、とようやく男が反応を示した。


「雄弁は時に億劫。・・・まるでこの状況に怯えていらっしゃるようだ」

「・・・・・・」

「得物を傍若無人に振り回し・・・震えるか弱き兎の様な、誠頼りなき様。・・・それに」

「・・・・・・」

「ここに迷い込んだのは、あなたの御意思に御座います」

「なに・・・・・・?」


迷わせようと出鱈目を言っているに違いない。従来土蜘蛛とはこの世の八十神(やそがみ)との親交が深く、神や霊といったものに 精通していると聞く。その事実は無論のこと、言霊という、言葉に神力を込める能力も有しているということも物語っていた。
ならば、やはりこの男の言葉は信じてはいけないし、元々あの橿原宮陥落時の出来事もあいまって信じるに値する欠片もないような人間 なのだ。
一応、仲間である遠夜のことは最近行動を共にしてきて心を少しばかり許してきたが、やはり土蜘蛛に対する不信感は拭いきれないもの がある。


「貴様の言葉にはもう誤魔化されぬ。いかに言霊を使おうと、俺には―――」


「この果てしなく長く、寒く、暗雲立ち込める寂しい無限の道・・・。この世界も、この状況も、全てはあなたが作り上げた虚構・・・」


また言葉を遮られて、なにやら世迷言を繰り出す棒立ちの男に、最早言葉など通じるわけも無いと悟って、忍人は刀を振り上げ勢い良く 切りかかる。
―――しかし、確かにエイカの身体の中心を切り裂いたはずの刀は、そのまま地に落ち、勢い良く石の地面を砕いた。


「先刻申し上げた筈。我が身は影であるゆえに、その刃は届くことは無いと」

「・・・っ」

「・・・この廊下は、今のあなたの心を水鏡の如く写し、具現化している虚空なる空間。ご覧なさい」


つい、とエイカはその重たげな服を纏った腕を上げて、廊下の先を示した。


「何処まで歩いて行っても先は見えず、程遠い・・・。歩く大地は零下の氷のように冷たく、乾ききっている堅い粗末な石だらけ。そこには絶えず深い孤独な猜疑や欺瞞に満ち溢れた暗闇がたちこめ、それを照らすのは今にも消えそうな頼りない灯篭のみ。無明の恐怖に幾度幾度もがいてみても、もがく度に水底の沼に足を捕らわれ、絶望という海へと沈み、五感すらまるで硝子細工を壊すかのように破壊されてゆく・・・」

「・・・・・・」

「そして、かような風景は、劫(カルパ)。逃げても逃げても、追いかけてきては無音の時空が広がる」


そこまで話して、一旦彼の言霊は途切れた。こんな辺鄙な場所に招いてまで、些細な嫌味を言いにきたのだろうか。もしそうだとするなら エイカという男はなんとも陰湿な男なのだろう、と最早関心しきった面持ちになった。


「・・・万が一、貴様の言ったことが真実で、此処が俺の心の中にある空間だとしたら」

「・・・・・・」

「一体何のために貴様は此処に来た?・・・まさか、俺を助けに来たなどとは言ってくれるなよ」


試すようにして吐き捨てられた言葉に、エイカは静かに反応を示す。


「笑止。我が土蜘蛛の血を縛る掟は唯ひとつ。いつかは消える泡沫の命火になど冥利は感じ得ませぬ」

「なら御託を抜かすなど止めて、さっさと目的を述べたらどうなんだ」

「・・・我が目的は弱き孤狼の苦諦を助けることにあらず・・・。我が目的は―――・・・涅槃寂静を護るために在り」

「意味が分からないな」

鼻で笑い、かるくあしらう彼をまるで気にも留めない様子で、彼は続けた。

「もう直ぐにでも信じることになりましょう。・・・否、貴方は信じざるを得なくなる」

そんな冗談に二度も騙される忍人ではない。ほら、と道の奥を指し示すエイカの行動をも無視して、先ほどと同じようにもう一度、 上段から一気に切りかかる。だが、同じ幻影術を二度も食らう忍人でもなく、今回は「あの技」を付加して。

「唸れ、漆黒の刃―――破魂刀っ」

刃が黒い光に包まれ、刃先がエイカに当たった瞬間に今まで半透明だった彼の皮膚に確かに食い込んだ感触があった。しめた、と思い そのままの勢いで石廊下まで引き裂き下ろすと、砕かれた粉塵の土煙が狭い廊下を埋め尽くす。
手ごたえは十分、あとはこの煙さえ去れば、迷い込んだエイカの魂は肉体と同化して、その場に倒れていることだろう。
胸が高鳴るのを抑えて、煙をやりすごす―――が、そこに彼の姿はなかった。
仕損じたか、と思いすぐさま身体を反転させてまだ勢い衰えぬ刀の反動を利用して暗黒の光で円状に薙ぐ。すると、煙の中で僅かに 揺らめく影があり、そこか、ともう一つの太刀で縦一文字を描く―――。


「っ!?」


しかし、そこにいたのは。


「・さい・・ごめ・・・なさ・・っ、・・・ごめん・・なさい・・・・・・」


あの、夢の少女だった。


「・・・っ・・・」


もしかしたら、エイカが彼女に化けているのかもしれない。本来なら人間が他人の夢を覗くことなど不可能だが、この長い廊下といい、 最近の霊験といい、特に土蜘蛛が関与するなら超常現象とて信に値した。
ならば、今すぐにこの中途半端に少女の頭上で止まっている刀を降ろさなければ。そう頭では、理性はしきりに促すのに、なのに、 果たして本当に斬って良いものなのか、と何かが脳を止めているのだ。


「・・・くっ・・・・・・!」


次第に柄を持つ手がかたかたと震えだして、段々と力が抜けてゆく。女、子供といえど普段の自分なら間違えなく、容赦なく切り捨てて いたが、やはりこのいたいけな少女に偽りはなさそうでその手を緩めるしかなかった。しくしくと声を押し殺してすすり泣く声がなんとも いたたまれなくて、敵かもしれないと頭では分かっているのに、ゆっくりとしゃがむと目の前の少女の背をなでた。
まるであの夢の中の少年がしていたように、まるで壊れ物を扱うかのように酷く優しく、ぎこちなく、不器用に、泣き止め、と。


「・・・えば・・・のに・・・っ」

「・・・うん?」


次第に嗚咽は収まってきて、ようやく少女は気持ちが落ち着いてきたのか、ふと何かを口ごもっていた。それを聞き取ろうと、忍人は 耳を澄ます。


「こんなせかい、きえちゃえばいいのに」

「な・・・」

「龍神さまもきらい、力のないわたしもきらい、こんな色のぬけた髪もきらい、采女たちもきらい、こんなせかいなんて、だいきらい」

「何を言っている・・・?」


少女の声はいつものようにまるで鈴が鳴るかのように澄んでいて、愛らしい声だ。しかし、それもあいまってか口にされた言葉は酷く 残酷に耳に届いて。確かに普段からなにか抑圧があればこう口走ってしまうこともあるだろうが、今は何故か正気の沙汰だとは思えな かった。


「不遇にも神に見入られ、強大な力をその小さき手に持たされた少女を待ち受けていたのは栄華や賛美の声ではなかった。莫大な期待、そしてそれに急激に比例する失望、畏怖、怒り、妬み、嫉み・・・排斥。一切皆苦の世界に彼女は絶望したのです」

「っ!そこか―――」


戸惑っている背後から聞きなれた声がして、忍人は咄嗟に床に置いていた刀を握り、下段から逆袈裟に引き裂こうと腕を持ち上げる。


「なっ、・・・・・・っ!?」

「申し上げた筈。貴方はこれから私が言う言霊を信じざるを得なくなる、と」

「や、・・・やめろ・・・・・・!」

「あなたは中つ国、ひいては豊葦原を栄光に導く愚かな聖者。あなたと私、そして人々が望む国をつくるためには―――そう・・・・・・」


腕は即座にエイカの方向ではなく、身体ごと反転して―――後ろにいる少女に向けられた。見れば、腕に刀から伸びた黒い光がねっとりと 絡み付いているではないか。
ああ―――これは、夢だ。また、あの夢の続きを見ているんだ―――。
忍人の脳は最早流れこんでくる不可思議な情報を受け止めきれずにそう願っていた。心の中ではこれが夢ではないことをおぼろげに感じ とってはいたものの―――そう、思いたかった。


「くっ、・・・エイカ!こんなことをしてどうする!?今すぐにやめろ!!」

「・・・殺めるのです。龍神の神子を」


後ろでは酷く穏やかな声。目の前の少女の瞳には、己の金の刀。だが物怖じせず、どこか諦めきった表情で、彼女は最期の時を ただ静かに待っていた。



「やめろぉぉぉおおおお!!」






























・・・ひら、ひら。





いつの間にか、石の廊下には不釣合いなほど赤く、綺麗な桜の花びらが降っていた。まるで、誰かの生き血を啜ったかのように生き生き とした赤が、どこからかはらはらと舞い落ちている。


「・・・申しあげた筈。・・・ここの空間に存在するものは、影であると」

「あ・・・あ、あ・・・・・・っ」

「ですが、限りなく浮世に近く、常世に近い。貴方の業を映す鏡の心影は・・・・・・相当なものの様子」


斬った刀には、何の液体の名残もなかった。あの少女も消えていた。なのに、酷く脱力と喪失の絶望が胸を占めていた。
がくりと膝を付き、ただただ降る桜を目に焼き付けては押し寄せる悪寒と吐き気に耐えるばかり。
そんな様子の忍人を見下すようにして、また、哀れむようにしてエイカは最後の言の葉を贈った。


「先ほど綴った言霊はいずれ現実になるでしょう」

「・・・・・・・・・」

「大いなる選択の星取夜、この世界を救いたくば、龍神の神子を殺めるのです、葛城忍人」

「・・・・・・・・・」

「さすれば世界は恵に満ち溢れ、流れ落ちた雫をもって神子は苦渋の永劫輪廻から解脱する・・・」

「・・・それは・・・敵国に対する誘導暗殺の計(はかりごと)か・・・・・・?」



かすれた声に返す言葉は、酷く優しい声音だった。





「・・・慈悲に御座いますなれば」











そして、誰も居なくなった石の上に、全身の緊張が抜けた忍人はどさりと倒れこむ。
すると不思議なことにあれほど不快に思っていた床がひんやりと冷たくて、とても気持ちが良かった。まるで冷たさにまどろむかのように して、忍人はもう何も考えることも出来なくなって、ただただぼんやりと前を見つめる。
次第に瞼が落ちてきて、いよいよ眠気に襲われて。先ほどまであんなに激しい戦いをしていたのにすぐにこうなってしまうとは、いや、 むしろだからかもしれない―――今日は、深く良く眠れそうだ、などと場違いなほど暢気なことを考えながら、瞳をゆっくりと閉じる。
途端意識を失った忍人の上からは依然はらはら、と真紅の桜が昏睡する彼を嘲笑うかのようにして楽しげに舞い降り落ちていた。



***



「・・・で、どうなの?こいつの様子は」

「駄目ですね・・・。ここしばらく悪い夢に魘されてたらしいし、疲れが溜まってたのもあるんじゃないかな。一応、遠夜がずっと看病してくれてますけど・・・依然、深く眠ったままです」

なにせじゃないから、彼が何を言っているか良く分からないんだよな、と暢気に笑う風早に対して、那岐は確かに、と同意を示した。
此処最近ずっと行動を共にしてきて表情から何を思っているかぼんやりとはわかるようになってきてはきたが、のようにハッキリと 遠夜が口にした言葉は聞き取れなかった。それは普段からのほほんとして生きている風早でなく自分もそうなのだから、那岐も咎め なかったのだ。


「それにしても・・・悪い夢だって?まさか、こともあろうか将軍が戦にびびってんじゃないだろうな」

「ははは、案外、そうかもしれませんね」

「げ。・・・マジかよ・・・・・・」

「いえいえ・・・誰しも戦となったら緊張はするものだからね。ましてやこんな大きなものが飛んだんだ。陸路とこの軍は二分されているし、この船には現実主義な忍人は結構驚いたと思うし、軍編成の件も一任されたから真面目だし、気負ったと思うよ。・・・・・・まぁ・・・」

「まぁ、なに?」

「・・・半分、『そうだったらいいな』なんだけどね」

「は・・・・・・?」


風早がふと見せたどこか黄昏を帯びた表情に、那岐は何もいえなくなってしまう。思いあたるふしがあればいいのだが、緊張からの悪夢 に魘されて寝不足が祟ったこと以外にこれといって忍人が倒れる理由が見つからなかった。だからそこまで考えて那岐の思考からは一気 に興味がなくなって、深入りすることを拒んだのだ。
まぁ、いいやと呟いて現在未だ行方不明になっているの捜索状況を訊こうとした時―――。


「・・・・・・!」

「遠夜、どうしたんですか?」

「・・・嬉しそうに笑ってるな。・・・行ってこいよ、あんた」

「ええ。那岐ももちろん着いてきてくれるね」

「・・・・・・・・・・・・・・・」



慌てて駆けてきた遠夜に腕を引かれるようにして、風早はずんずんと狭い廊下を進む。その後ろではなんで僕まで行かなきゃならないんだ とぼやく那岐が、しぶしぶと後を追う。
途中、嬉しさに緊迫した空気を断ち切るように冗談が交わされながら、ようやく忍人の眠る寝台にたどり着いた。


「大寝坊ですね、忍人」

「・・・・・・・・」

笑顔でさらりと放たれる風早の毒。しかし確かに反論も出来ない忍人は何も言い返すことができなく、ギッと強い眼差しで彼を睨み上げる しかできなかった。

「あいつがいなくなった分、今度は風早が嫌味担当になったのか」

「はは、そういう捉え方もありますね。いや、でもね、心配したんですよ」

「・・・俺は、一体どうしてここに・・・?何刻ほど眠っていた」

「まぁまぁ、そんなに慌てないでください。・・・君は、この筑紫の濃霧に惑わされてしまったんですよ。ああ、安心してください。俺達も同じように惑わされてしまいましたから。霧で前が見えなくなって、気が付いたらこの船の近くにいて・・・戻ってきたというよくわからない状況なんですけどね。それで・・・君も船の近くにいたけれど、倒れていた。その時にはもう意識がなかったんです」

そこまで話したとき、ふと、そろり、と遠夜がまるで部屋からこっそり逃げるようにして足音を忍ばせて外に出ようとした。
そこを、那岐がすかさず止める。

「おい待て、人を巻き込んでおいて自分だけ逃げるなよ」

「・・・・・・」

「脈も気も薄かった。そこで、遠夜が熱心に看病してくれたんですよ。昨晩からずっと貴方に薬を処置してくれたり、心の中で言霊を何度もかけてくれて・・・」

「お前・・・・・・」

そんなばかな、と思って遠夜に目を向ければ申し訳なさそうに、ちらりと上目がちにみあげてくる。流石に感謝せざるをえないが、 先ほどまでのたちの悪い『夢』を思い出せば、まさか彼のせいであんな変なものを見たのかとすら思えてきて、堅く口を閉ざしてしまう。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

空気が、一気に重くなる。
遠夜は何も悪いことなどしていないのだが、忍人に普段から警戒されていることに怯えているし、風早は忍人の感謝の言葉をひたすらに ずっと待っていて、当の忍人は気まずさ故に何も言えず、那岐に限ってはもう一刻も早く解散したい一心で誰からも何の反応もない。

しかし、そこに部屋の外からばたばたと慌ただしい足音が近づいてきた。


「風早っ!姫さまが帰ってきたぞ!!」

「なんだって?―――・・・」

「お、おい・・・!」


息も切れ切れの足往の言葉を耳にした瞬間にまるで何かにとりつかれたかのように俊足で出口に向かおうとする風早の後ろ背に 「今度は『那岐ももちろん着いてきてくれるね』とか言わないんだな」と思い切り毒づいて那岐も彼の後を今度は小走りに追う。














「・・・・・・」

「・・・・・・」




しまった。



そう、忍人は心の中で思い、風早たちを酷く恨む。・・・一番気まずい相手が残ってしまった。自分が動ける状態ならさっさとどこへ なりへと行くのだが、今は全身の疲労感からどこへも行く気には到底なれなかった。しかし、遠夜も遠夜で、気まずいのであれば早く どこかへ去ればいいものを。


「・・・・・・おい」

「っ・・・?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


駄目だ、やっぱり言えない。感謝することはすなわち今までの非礼を詫びるということにもなり、自分の行動が誤りだったということにも つながってくる。それに、やはりあの残酷な夢が歯止めをかけるのだ。


「・・・・・・?・・・・・・」

「おい、どうし・・・・・・っ!?」


ふと、沈黙を無視するかのように遠夜は床に身をかがめて何かを拾い上げて、それを目に止めた瞬間、忍人は固まった。


「・・・・・・」


遠夜はまるで『綺麗』とその稀有な存在を賛美するかのようにうっとりとそれを眺めていたが、忍人はそうではなかった。
脊髄を舐める悪寒、緊張に喉はひくつき、手の体温は急に冷めゆく。


「・・・出て行ってくれ」

「・・・・・・?」

「早く、それを持ってどこへなりと去れ!気分が悪い・・・!」

「・・・・・・」








―――違う。
   傷つけたくなど、ないのに。
   ただ、「ありがとう」と言いたいだけなのに。




すまない、と声にならない声を、遠夜がおずおずと退散して静かになった部屋で小さく呟く。
傷ついた孤独な狼が呆然とする寝台の後ろには、三枚ほどの鮮血の桜が彼を笑っていた。














―――二人は啓示を受けた。



そしてこの時を境にゆっくりと大きく、運命の螺旋は回りだす。



『まだ見ぬ誰か』を葬ってまでの世界の希望に、すれ違う二人の幸福は叶うのだろうか。










「懐かしい、夢を見たな。・・・禍津星が、遠い記憶を呼び覚ましたか」










ぎしり、と残酷な運命の歯車がかみ合う音が軋む。









赤い長髪の男はまるで水のように流れるような絹の布を身にかけ直し、ひとりごちる。
そう、不思議な郷愁は、この男にも訪れ始めていたのだ。
















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第八話。忍人VSエイカ(?)なお話。
なんだかエイカは強かに攻撃してきそうなイメージがあります。

そして、難しいところで悩みまくりましたが・・・このエイカはただ常世、火雷のために動いているのではありません。ということを 表したかったのですが、エイカのセリフ考えるのにめっちゃ悩みました。難しい難しい。いやはや。
もしかしたらところどころ呼び方おかしいところがあるかもしれませんが、その場合気がついたら修正しますね。

何故ナーサのためだけに動かないのか、ということは・・・これから分かるかと思います。
そして夢なの?夢じゃないの?な将軍。怯える遠夜に裏では実はを重ねてたりします。警戒心が強い忍人は絶対不器用で、人を言葉 ひとつでかなり傷つけてしまう人なのではないかと。でもそれがきちんと優しさのうらがえしだと分かっている人はいて。そんな人たち が仲間なんだと。・・・那岐はどうなのかわからないですけど(私の中の那岐は風早以上にに興味津々な子www)

そして幼少期(?)怖いですね・・・いや、可哀想な主人公大好きなので。お守り風早とかベスポジだよなぁ羨ましい。
私のなかのは小さい時、勿論自分に力がないことに絶望してるのですが、その反面で世界を疎んでいたという感じでおいてます。
綺麗ごとでおわらせられたら一番なのですが、仕方なくも思っちゃうと思うんですよね。


前話と1話としてみると流れがつかめるかもです。本当は7、8話は一緒にしたかったんですが、いかんせん字数が(つд`)あわわ

今回の話は心の中の話(?)だったので風景描写と心情描写を重ねるのが難しかった!
早く四章になってほしい琴でした。







21:55 2008/10/02



冒頭一部引用:「『阿含経典3』雑阿含経15「転法輪」筑摩書房」