第五話「あかふたつ」





ふと、呼吸をすれば鼻腔を劈くような、それでいて重量のある香りがする。





やがてそれはすぐにでも肺に入り込み、そこから細胞一つ一つが侵されてゆく感覚に襲われる。




それを防ごうと腕に力を入れようとするが、思うように動かせない。一体どうしたのだと思って腕を確認するとだらんとし、しかし 何かを抱えるような格好で止まっているではないか。
その腕の空洞にはきっと何かがある。どうしてそう確信するかは分からないが、ずっしりとした重みのある―――暖かい何かが。


「・・・・・・」


暖かい―――そして脈打つ。その温度と規則正しい心音が心地よく、思わず瞼が下りてくる。昼下がりによくするまどろみ、という 表現がぴったりかもしれない。うとうとと、暖色の揺り篭に優しく誘(いざな)われるようだ。




だが―――意に反してそのぬくもりは段々と失われていった。




折角あんなにも心地よかったのに一体どうしたというのだろう。



急激な変化に得体の知れない暗い闇が心を覆い、不安からか底なしの沼へ引きずり落とされてゆくようだ。気が付けば周囲は深い闇で 包まれていて、自分以外に何ものもない。無音のような世界に落ちてゆくなか何かを掴むことすら赦されぬまま、冷たくなる塊だけが 彼に存在を告げていた。
どうにかこの状況から逃れようとしても身体は一向に動かなく何も出来なくて、なすすべもなくふと、その透明な塊を見た。



―――と。





「・・・!!」





腕の中には人間がいた。





ただ、眠りこくるような穏やかな表情をした―――少女が。


「・・・あ、・・・あ・・・っ」


だが、この少女を見知らないわけではない。いや、忘れて―――たまるものか。


そう、『あの時』願い、誓ったではないか。


「あ、あっ、ああッ―――・・・・・・」


瞬間、辺りには真っ赤な―――この世のものとは思えないほどの鮮やかさを誇った真紅の海が広がって。
それに比例するかのように己の心にどす黒い暗黒、そして言いえぬ失望、憤怒がじわりじわりと広がってゆく。腕は震え、喉は焼けつき 全身から力は抜け、反して眼球は見開いて、その少女に釘付けになる。
こみ上げる涙など、もう久方ぶりだというのに。もう二度と流すまいと誓ったのに。どうしようもなく迸る。


「・・・伝承は、繰り返される―――」


・・・ぽつり。
無明の紅の世界に一人、鶯色の髪の男が立っていて、不意に語りかけられる。


「全ては神の選定のために。・・・君の記憶もすぐに消えるんだ」


また、一人。
何時の間に背後に立っていたかも知れない男が語りかけてくる。だが、全身の力が抜けていて振り向く気すら起きない。




知らない。
こんな人間。こんな出来事。こんな空間。こんな時間。




なのに―――



「忘れない・・・忘れてたまるものか・・・!たとえ―――」




知らぬうちに喉が震える。天を睨む。真紅の液体にまみれてもなお、この黒い感情は決して癒えることはなく消え失せない。



「たとえ―――神威に逆らったとしても・・・!」





絶望の吐き気を押し返すようにして、喉が張り裂けるほどに叫んだ。








<「再臨詔」第五話「あかふたつ」>







「――――ぁぁあああっ!!」






ガバッ!



急いで剥いだ麻布の風圧で、近くにともしてあった灯篭の火が揺れる。ゆらゆらと危なげに揺れる壁に映った自分の影を目に留めて、 忍人はようやく自分が今置かれている状況を理解した。



「―――っ・・はぁ、はぁ・・・っ!」




激しい息切れと脊椎を舐める悪寒を沈めようと、肩を抱き息を整える。そうしているうちにようやく冷静さを取り戻してきて、 気が付けば寝汗がじっとりと全身に浮かんでいた。今日の気候はそんなにも暑くもなく、むしろ寝付きやすい気候な筈なのだが、 今の褥はべとべととして、毛髪まで頬にぴったりと張り付き非常に不快だ。


「忍人様、いかがなされましたか!」


がらり、と性急に襖が開けられ、護衛にと付き従っていた狗奴の兵士が部屋に慌てた様子で入ってくる。


「あ・・・ああ、いや、なんでもない」

「珍しく、脳にまで恐ろしさが響く絶叫でしたぞ。悪い夢でもご覧になられましたかな」

「・・・・・・」


とりあえず額に滲んだ汗を袖で拭い、先ほどの夢をゆっくりと思い出す。


「悪い・・・夢・・・か」


・・・今でもはっきりと覚えている。
腕に染み付く暖かい液体。それに反して急激に冷めてゆく体温。ずっしりとした肉塊、しかし何者よりも華奢な骨格。
そして―――何かを達成したかのような安らかな笑み。悪魔に全身という全身をねっとりと眺められ、じっとりと笑われ、 呼吸の一つ一つまでをも監視される息の詰まる感覚。


思い出しただけでも、血の気が引き身の毛が弥立つ。



「・・・俺は大丈夫だ。それよりも、冷たい水を持ってきてくれ」


最初、兵はしかし、と困惑していたが、無言の圧力に耐えかねて彼は仕方なく給水所へかけていった。


「最近・・・どうしたというんだ。俺は、・・・一体―――」


四国からの帰り道での不思議な白昼夢。そして―――最近頻繁に見るこの得体の知れない失望、絶望の輪廻を繰り返す悪夢。
戦の緊張に耐えかねての夢ではないと確信してはいても、こう長く続くとその自信も段々と殺がれてゆく。
緊張している、怯えているのか?この自分が・・・?
・・・いけない。今日は出雲の賊を偵察しにいく大切な日だというのに。こんなくだらぬ夢に神経を使っている場合ではない。


ため息をつき頭をくしゃりと抱えた忍人の隣で、二つの太刀は揺らめく灯篭の光を妖しく反射させていた。







***


翌日、結局、日向の一族の協力は得られなかった。なんだかんだといって、あのレヴァンタに神を売り渡してしまったし、達に 勝算はない。それに「契約」というものが彼らにはあるらしく、炎の結界を消してもらうことはできなかった。
だが、まだ望みが消えたわけではないとは思う。何度も説得に行けば、いつかは心を許してくれるかもしれない。
それに、囚われた仲間を取り返すことが出来るのは間違えなく自分達しかいないのだから、一回断られたくらいで挫けてはいけない。

また明日も、懲りずに説得しに行こう。
そう思って、一夜を明かす。




すると、翌日意外な情報がの下に舞い込んできた。

なんと、あの炎の結界が消えているというのだ。


「サザキたちが、なんとかしてくれたんだ・・・!」


ならば、土雷邸に進軍するにはこの好機を逃してはいけない。
だが、最近レヴァンタは武器を各地から買い集め、軍を強化していると聞く。まともに戦ったのでは敗北は必至だった。だから、 出来るだけ争いを避けながらの救出を狙うことになった。


「捕らわれた者たちは邸の北、岩牢にいるはずだ」


しかし、先頭に立つ忍人は入り口を睨みつけながら勢い良く駆け出す。


「急ぐぞ。時間がたてば彼らを盾に取られかねない」

「それはもっともだけど・・・」


先陣を率先してきる忍人のやや後ろから追いかける風早は彼に「もっと慎重に」と忠告しようと足を速めるが、彼はそのままの勢いで おかまいなしにずかずかと邸内に侵入する。
すると風早の予想したとおり、常世の官吏たちによってすぐに発見されてしまった。
あまり犠牲を出したくないのに、君は違うんですね、とため息をつく彼の横で、は弓を構える。


「こうなったら・・・やるしかないよ!」

「だから、なんでそう喧嘩っぱやいんだ・・・」


隣で那岐も頭を抱えながら、気だるげに勾玉を掲げる。しかし、もう見つかってしまったからには早いうちに口封じをしておいたほうが 危険が減るのは確かだ。各々武器を構え、襲い掛かる兵士や報告に駆け出す官吏を次々と気絶させてゆく。
しかし、それもいたちごっこにすぎない。逃げ延びた人間が別の兵に敵襲を知らせたのだろう、倒しても倒しても数が減らない。
むしろ待っていました、かとでも言うようにどんどんと数が増えてゆくではないか。まさか急襲を予想されていたとは思わないが、 まるで本当に待ち伏せされていたかのようにタイミング良く兵士が増えてゆく。

これには流石にたちも参ってしまう。これでは仲間が捕らわれている岩牢に向かうことはおろか、ここを皆生きて無事に突破できる かも分からない。加えて、このことがレヴァンタに知れてしまえば先ほど忍人が言っていたように仲間を人質にとられかねない。
折角一番の障害である炎の結界がなくなったというのに、これでは最悪の結末を迎えてしまうではないか。


「もしや、こいつら捕虜を奪還しに来たのか?」

「・・・!」

「急ぎ、人を集めよ!土雷様にもお知らせするのだ」

「いけない!このままじゃ、つかまっている人たちが・・・」


それだけは避けなければ―――そう思い、が同時に2本の弓を射掛けようとした時だった―――。



「二ノ姫、下がっていろ」

「え?は、はい」


目の前で応戦していた忍人が、至極自然形にゆらりと刀を構えている。そして言われるがままに背後に下がると、の耳に不気味な 音が届いてきた。


―――フォン・・・フォン・・・


「・・・・・・戦の気配に目覚め、血を求めるか」




  ――― ぞ く り 。




の肌が粟立つ。
どうしてかははっきりとわからないが、これだけは分かる―――・・・。
何か、強大な力と、目の前に浮かびあがる―――




  赤。





「ならば、我が命に応えよ」




―――ヴ・・・ン・・・ッ!



「破魂刀――――――」




 だ め 、 だ め ・ ・ ・
 
 使 っ て は 、 い け な い ――― !


















―――ズドオオオオン!!




「っ!」


皆が凄まじい光と砕かれた床の破片に目を塞ぐなか、その中を人影が散ってゆく。まるで人形のように人間が吹き飛ばされ、空中分解し 原型の跡形も無く千切れる。
その場には血の煙があがった。


「うわぁあぁあっ!」

「あ・・・・・・ああ・・・・・・」

「な・・・なんだ、今のは・・・・・・一瞬で人が・・・・・・」


瞬時にしてその場にいた、先ほどまで自分達と一緒に戦っていた数多の兵士たちがただの赤い肉塊と化した光景に、生き残った常世の 兵士は状況が上手く飲み込めずただ呆然とするしかなかった。
それでも戦意喪失している彼らに容赦なく、忍人は刀を掲げ、


「退け。貴様らでは相手にならん」


もう一度先ほどの技を出した時の構えを取りつつそう告げる。
ようやく正気にもどった兵士たちは彼の構える二つの太刀を目にとめた瞬間、恐れおののく。


「あ、あの金色の刀は・・・・・・」

「破魂刀・・・・・・。あれが、中つ国の葛城忍人なのか」


忍人は何も答えない。その代わりに一歩間合いを詰め、またあの鈍い不気味な音を広い岩邸に響かせた。


「・・・・・・」


「ひっ、お、俺はまだ命が惜しい」


兵士が一人、ようやく束縛から解き放たれたかというようにへっぴり腰になりながら出口へと這い出した。


「き、貴様ら、待て!敵を前に、逃げるな!」


そしてそうは言いながらも武官も彼の後を追ってゆく。


あんなに多くの兵士がいた広間も忍人のおかげですっかり静かになったところで、は先ほどの悪寒の原因であろう剣技のことを 尋ねようとした。


「お、忍人さん、今のは・・・・・・」


が、


「さえぎる者はいなくなったな。行くぞ」


忍人はただそう言い残すとまた足早に奥へと進んでいってしまった。
一体なんだったというのだろう―――あの剣技は。

勿論、その破壊力に驚愕しているのもあるとは思うが、それ以上に―――何かが、脳のなかの何かが、あの技に非常に強い警戒を していた。
・・・気が付けば、手に嫌な汗がじっとりと浮かんでいるではないか。その汗は間違えなく戦で滲んだものではなく、あの剣技――― 破魂刀の鮮烈な光とその鳴る音のようなものを聞いたとき、そして彼がそれを振るった時に滲んだものだ。



それを振るえば沢山の人間が死ぬことになるから、恐怖したのだろうか。
いや、それとも―――別の、何か、理由が?


「なんなんだ、あいつ・・・。怖すぎ・・・」


ぽつりと呟く那岐の隣で、はその無名の理由を確信していた。

まっかな、まっかな・・・赤色と共に。




***



―――結局、あの嫌な汗の原因は分からぬまま、救出にむかった。


捕らわれていた村人たち、そして足往を牢から逃がし、怪我をしていた者には自らの衣を裂いて巻いてやった。
途中、炎の結界を無くしたとしてレヴァンタに叛徒として捕らわれていたサザキと彼の親友であるカリガネも救出し、敵であるはずの 柊の助けもあり、たちは事の張本人のレヴァンタと対峙することになった。


おどろおどろしい狂気に包まれた君主の部屋。それは焦りと絶対的な力に恐怖する人間の男が放つ気ではない。
岩長姫に聞いたところ、ここ最近高千穂の恵は急激に減る一方で、荒魂が魍魎跋扈するようになったという。もしかしたら―――と 思い当たる。この暗く生ぬるい闇の気配、殺伐とし、血走りぎょろりとした瞳・・・もしかしたら、この男自体が、荒魂に落ちたの ではないか?

もしそうだとするなら、戦うことによってその気を沈めることができるかもしれない。
淡い希望にかけて、は仲間たちと共に弓を手に取った。


しかし、命からがら、というところで彼は逃げてしまった。―――部下に俺の代わりに盾になり、死ね、と言い捨てて。


無論、そんな真似は出来ない。だって、彼らだってレヴァンタの暴挙にあった被害者なのだから。



「俺は・・・・・・これから先一体どうしたら・・・」


主を失っただけではなく、今まで信じていた主に裏切られて存在理由を失い呆然と立ち尽くす兵士を見ると、多くの兵士をまとめる 将とは一体どうあるべきか、と考えてしまう。
絶対的な恐怖や力で縛っていてはレヴァンタのような悲劇が生まれる。だからといって甘くしていれば裏切る者にまたたくまに 回天される。
皆で考え、皆で解決してゆければいいのだが、国が強大になるにつれてそれはそれで難しくなるだろう。では一体、どうすれば望む国は 得られるのだろうか。

今まであまり考えたことはなかったが、こうした切り捨てるか切り捨てないかの選択の場面となると自覚せざるをえない。自分は皆とは 違い、生まれつきの立場故に多くの人間の生命を翻弄する危険な存在であると。


「とりあえず、よかったね。高千穂守れて。これで岩長姫とかいう婆さんの砦にいる仲間も安泰だろ。初戦にしては上出来じゃないか」

「那岐・・・」

「・・・あんまり難しい顔してるなよ。はあんまり思慮深いほうじゃないんだからさ」

「う、うるさいなっ・・・!」

ぽん、と軽く頭を叩かれてはぷう、と頬を膨らませる。
しかし、これが那岐なりの優しさだ。言葉はぶっきらぼうだが、その言葉が意味するところはもっと暖かく、奥深い。


は守りたいもの、守ればいいんじゃないの?・・・どうせ、頑固なんだし」

「・・・え・・・?」


出口に向かって歩く那岐の後ろ姿に問いかけても返事はない。


守りたいものを、守ればいい―――・・・


の胸の中では何故かその言葉が何度も何度も反芻していた。そして、問いかける。




私の守りたいものは・・・?

中つ国?それともこの世界、豊葦原・・・?

それとも――――――・・・。




守りたいものを、守る。
至極単純なことで、また、今までずっと「姉様との約束」を果たそうとこの国の復興に尽力してきたつもりだったが、ここにきて はじめて自分の心に何故かひっかかりを見つけた。
最近、わけも分からず何かを確信することが増えてきた。確信はあるのに、その中心となる核を欠いている―――そんな、何か大きな 喪失感に満ち溢れた確信。言い換えれば、それこそ「自分が自分でない」感覚。この世界、この時空に確かに生きているのに、どこか ふわふわと宙に浮いている感覚。
一体なんだというのか。ここ最近、そう―――こんな不思議な感覚に見舞われはじめたのはあの出来事以来だ。


忍人に金の刀を喉笛に当てられた、あの時から―――。








、行かないの?・・・あまり遅いと置いてくよ」

「あっ、待って・・・」







冷たくなった喉を押さえていた手を離して、は那岐の後を追った。
















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なんだか那岐りんの出番が多かった5話。

ついに破魂刀登場シーンですね。
ゲーム本編ではあの時点では刀を危険視していなかったのに比べ、今回の伝承のはかなり危険視しています。
いわば動物的本能で「危険」と判断しているかんじです。


さて、ようやく2章が終わりそうです。これだけ端折ってもこんな字数になるとは、遙か4はやはり話自体が長いのだとひしひしと 感じました。3章からまたオリジナル要素足していきたい!

そしてまだまだすれ違い忍千なかんじ。
これからどんなふうに二人の気持ちが重なるのか、私自身もまだ予測できかねている状態です^^(おいおい)
いや、ほんとうはいちゃこいてほしいですよ!

でも・・・ただの甘は・・・ねぇ?(こっち見んな)


さて、20話くらいまでには終わらせたいところ。
頑張ります。




23:44 2008/09/14