第十七話「ひとりを紡いで 今 君に逢いにゆく」










「・・・で・・・に、平和・・・を・・・」



 なにやら女の声が聞こえる・・・。その声は鈴のように澄んでいて、同時に力強さも兼ね備えた、凛とした声だ。
 ・・・だが、何故女の声がする?確か、俺は―――・・・。


そこまで思い至って忍人は目を開ける。そして寝かされていた身体をガバッと起こした。


先ほどまでの光景は夢ではない。確か自分は出雲郷にいたとき、黒い太陽から出てきた龍に吹き飛ばされて―――慌てて「二ノ姫」と叫ぶが、声にならなかった。喉まで声は出ているのに、押し出しても音とならないのだ。
一体どうしたものかと思って周囲を見渡せば、ここは見覚えがある場所だった。





そう、ここは――――――橿原宮。








<「再臨詔」第17話「ひとりを紡いで 今 君に逢いにゆく」>







「私は、中つ国だけではなく、この世界そのものを幸せにしたいと思っています。 先の戦乱で、常世の国、中つ国、敵味方関係なく、数え切れないほどの尊い命が散りました。この国の建国は、彼らの命の犠牲なしにはなしえなかったことでしょう。
 その事実も踏まえて、今一度皆さんに考えて欲しいのです。・・・果たしてこの国だけが幸せでいいのでしょうか? 私は、この悲しみの連鎖を断ち切るにはこの豊葦原に住む人々全ての幸福が約束されなければならないと強く、思います」



眩い太陽の日差しが降り注ぎ桜の花が吹き荒れるなか、王宮の高台に立って演説をしているのは夢にまで見た、王の装束を身に纏ったの姿だった。
忍人はふと我に返って、こんな所にいては恥になると思い、王にひれ伏すように陳列する兵の列に加わりそして考える。
しかし、先ほどまでの光景とさっぱりかみ合わない。仮にここが現実だとして、あの黒い龍は一体どこへ消えたというのだ?それに、声は出ないうえに隊列からはぐれていた者が慌てて列に戻っても、それに目をくれる者は誰一人いなかった。



「皆が皆、大切な人を失うことのない世界を築きたい。 そのような世界は、素敵だと思いませんか。 そのような世界に、皆でしてゆきませんか」




忍人の思考をよそに、周りにいた兵達は「オーッ」という歓声を上げる。不自然な光景に一人眉を潜めていると、にわかに彼女の演説台の後ろが騒がしくなった。
男達の大きな拍手の音にはそのことに気がつかない。ただ朗らかに微笑んで、皆に手を振っていた。

だが―――何か悪い予感がする。

この不自然な空気、賞賛の声に紛れて聞こえる不協和音。そしてこの緊張感。絶対に、何か大変なことが・・・この先待っている。
そして、忍人が予感していた通りのことが目の前で起こった。





笑顔で手を振っていたの胸に大きな矢が突き刺さった。





「きゃあああああっ!」




周囲に控えていた采女達はその光景を見て悲鳴を上げる。隊列の後ろにいた兵達は一体何が起こったのかわからないといった様子でまじまじと高台を見ている。そんななか、隊列を掻き分けるようにして一人の男が列を飛び出し、王座へ続く階段へと駆けつけた。
そして忍人はその男の姿を確認してまた目を丸くする。

間違いない、あの男は――――――・・・。




『な、何が起こっている・・・? 一体、どういうことだ・・・・・・!?』





葛城忍人――――――自分だった。




「貴様らか・・・! 我が王を射掛けたのは!」



皆が見ているというのに、激昂したその男には最早理性などない。神聖に祭られた王の高台の上で、声にならない叫び声を上げながら漆黒の光を纏った魔剣で下手人を一気に血祭りに上げる。人肉が粉々に飛び散る光景に再び采女達は悲鳴を上げ、側近の兵達は下で演説を聞いていた兵同様、微動だ出来ずにいた。


「陛下・・・っ! 陛下!」


犯人が息絶えたのを確認するやいなや忍人は一目散に演説台、の下へと駆け寄る。血の海に顔をつけるようにしてぐったりとしている彼女を抱き上げて、すまないと心の中で思いながら胸の大毒弓三本を抜く。
刹那、勢い良く真っ赤な血が噴き出して彼女の白装束を緋色に染め変えた。


「陛下・・・っ! ・・・陛下・・・っ!」


「・・・か・・ら・ぎ、しょ、ぐん・・・」


「陛下・・!」


もう瞳は鏃の毒素によって視力を失っているのだろう。空色の瞳は光を失い、濁った色で忍人の声がする方向へと目を向ける。美しい金色の髪もべったりとした血糊で汚れ、絹のような素肌も血まみれだ。
震えながら、必死に伸ばす手を取って、忍人は彼女の唇を読む。



「・・・よか、っ・・た・ぁ・・・。 世界も・・・無事で・・・忍、ひと・・さんが・・・生き・・てて・・・」


彼女の薄くか細い手はまだ暖かい。なのに、どんどんと体温が下がってゆくのが分かる。


「陛下、何を仰るのです・・・! 私の命など気にされますな・・・それよりも陛下の傷が・・・!」

「・・・、っ・・・・・・」

「っ!? 陛下・・・?」


最早毒素は体中に回ってしまったのだろう。声を発することも出来ず、ただ空気の漏れるひゅーひゅーという音が物悲しかった。
最期の力を振り絞って、それでもは忍人に何かを必死に伝えようとする。忍人は己の視界を遮ろうとする涙を押さえながら、それを読み取り、絶望した。



彼女が最期に遺した言葉は・・・。



『・・・俺は、その言葉を覚えている・・・』


目の前で、悲観にくれ、彼女を抱きしめたまま壊れたからくり人形のようにの名を呼び続ける自分を漠然と見ながら、これは夢ではないと忍人は確信した。




『ニノ姫―――・・が俺に言った最期の言葉は・・・・・「生きて」・・・・・・』




その言葉を心の中で唱えた時、目の前にいる忍人の感情がどっと流れ込んできた。
激昂、悲壮、無力感、虚無感、絶望――――――感情という目に見えないものに量をつけることなど出来ないだろうが、それでも『大量』かつ様々な感情に身体が供わなず思わず思考が止まってしまう。




・・・っ! ――――――!!」




皆がその凄惨な出来事に動けずにいたがしかしふと、忍人に話しかける男の姿が二つ、あった。



「・・忍人」

「・・・・・・っ」

「忍人、・・・伝承は、繰り返される―――龍神の神子が死去すれば伝承はまた繰り返される―――ただ、それだけのことなのです。貴方のこの怒りも悲しみも痛みも全て、今にでも既定伝承のままに歴史は廻(めぐ)り、消え去る」


鶯色の髪を豊満に湛えたその男の名は柊。腕の中で体温を失ってゆく彼女を掻き抱き、床に膝をつけながら睨み上げる。
柊の瞳は悲しみに満ち溢れていながらしかし、どこか諦めを含んでいた。
彼はそれ以上何も言わない。ただ涙に濡れる深碧の瞳の怒りを受け入れるように、そらさずに見つめているだけ。

そこにふと、もう一人の男が語りかけてきた。


「にわかには信じられない話だと思いますが・・・これから話すことは全て真実です。
 全ては神の選定のために。 ・・・神は歴史を繰り返させて、人類存続の審判させていました」

「風、早・・・・・・?」

「その繰り返しの要が・・・という名の少女。 今、君の腕の中にいる彼女こそが、白龍が選んだ神の愛し子――白龍の、龍神の神子」 


昔から知っているはずの彼が、酷く遠くのものに感じられた。
蒼天の色をした瞳は涙に暮れることもなく、柊同様どこか諦めきったような色をまとって。彼がこんな現実離れした嘘を吐くとも思えないし、それに吐いたとしても誰の、何の得になろう。
到底今すぐには信じられない事実に、ただ静かに耳を傾けた。



「神子無き世界は無明の虚空。 ―――伝承は、今この瞬間から繰り返される・・・。 この伝承での記憶・・・君の記憶もすぐに消えるんだ」



風早の言葉を裏付けるかのように、先ほどまで気持ちのいい快晴に恵まれていた天に、地獄のような宵闇色をした黒い龍が踊るように舞っていた。
程なくして目下に動くことが出来ずに控えていた兵達の軍に甲冑を身に纏った軍勢が突撃し悲鳴が起こった。恐らく、を弓で射殺した勢力が王の失脚を聞きつけて突入してきたのだろう。
度重なる驚きに行動が遅れた兵は応戦もままならず、どんどん刃の元にその命を散らしてゆく。それを尚更撹乱するかのように龍は煉獄の炎で橿原を焼いてゆく。まるで人の争うことを喜び謳うかのように。



「何故・・・何故神の愛し子が死なねばならない・・・っ!?」



轟音に耳を塞ぐことも忘れて、忍人は風早に問う。



「それは・・・・・・」




だが、彼の返答は残酷なものだった。











「忍人、君のせいですよ」













風早は何を世迷言を・・・一体何を、言っているのだ―――。


見開かれた忍人の瞳。信じられない事実に涙は一瞬止まる。そして説明を続けようとする風早から逃れたい衝動をなんとか理性で押さえつけ、次に語られる『真実』に耳を澄ませた。





「―――幾千年前の伝承のもこうして王座についた。 しかし、彼女が王帰還の詔を発している時に葛城忍人という・・彼女の愛した将軍は、彼女の命を狙おうとしていた賊を発見し・・・魔剣によって命を削られた将軍・・・つまり君は、相討ちになった」

「・・・・・・」

「愛しい人の亡骸を見て、は錯乱した。 ですが、彼女も一国の王・・・それを誰よりも分かっていたのでしょう。 名誉の戦死を遂げた英雄として、君を弔おうとしました。
 けれど・・・やはり彼女は耐え切れなかった。 この国の王として、世界と引き換えに君を失うことを拒み、一人の少女として世界に抗った・・・」

「・・・・・・」

は螺旋する伝承を生きることを断ち、君との伝承をやり直そうと・・・時と空間が交錯する異形の場・・・時空の狭間へとひとり向かったんです。 無事願いは成就され、伝承は終焉を迎えないまま遡った。 一つ前の伝承の記憶を持つ彼女は龍神に新たにこう願いました。 世界と、そして何よりも忍人――――――君が、生きて暮らせる未来になるように、と・・・」



ついに爆撃が王宮を攻撃した。
ずん、という重い音を轟かせて宮を形作っていた柱が煙を上げて炎上し、脆く崩れ落ちてゆく。
錯綜する想いに呆然とするなか、火柱が風早と柊、そして忍人の間に倒れてきて、そのまま王座は階下に崩落した。周りをぼんやりと見渡してみれば王座周辺に控えていた采女や兵達は倒れた柱や炎の下敷きになってぴくりともしていない。しかし、忍人も落下したというのに彼の着地した地点だけ草に囲まれており、彼と、彼が抱えるだけは無傷だった。
まるで―――彼女の願いがそっと、守られるかのように・・・。




「―――――――――」



忍人はもう、何も考えることが出来なかった。




ただ、想う。




(俺が生きる世界になろうが、俺の幸福は一体何処にあるという?)



『(こんな、人ひとりいない・・・君がいない独りの世界で、何を幸せとして生きればいい?)』




目前で流れる映像―――過去の、ほかならぬ現実に涙が止まらない。
幾千年前の忍人と、それを目に焼き付けている忍人―――二人の忍人の気持ちが重なる。




自然と、腕に、足に・・・力が籠もった。



「・・・・・・・・・」



兵がその身を貫かれて叫ぶ声、官吏が指示を出す困惑の声、采女の高い悲鳴と怨嗟の声、弾が炸裂し土足で王宮を踏み荒らす敵の高ぶった声・・・。
それらを気に留めることも無く忍人は彼女を抱き上げて、そのまま王宮の外へとゆっくり歩みだす。



行かねばならないのだ―――・・・こんな悲しみしか生み出せない世界は、きっと・・・間違っている。








そして変えよう、この狂った伝承を。








『(この世を傍観している空座の神よ・・・。 見ているならば、愚かなヒトの願いをきいて欲しい。
 
  白き龍神の神子の守りし人間は、記憶の存続を・・・願う――――――・・・・・・)』






ぽたり。



幾度目か分からない涙が地に落ちて―――そこからその世界が砕け始めた。



『・・・・・・!?』



まるで今観ていた過去が硝子のようになって、バラバラと崩れ落ちてゆく。照明というものは一切無くて、隙間から無明の虚空がその場を彩った。何事だと思って周囲を見渡せど、暗闇以外何も見えない。
一体どうすれば・・・そう思って目を瞑り、再び開けたその時―――今度はまた、別の風景が広がった。

だが、この風景は先ほどとは全く違う。
先ほどは現実と同じ速さで物事が進んでいたが―――今度は違って、様々な場面が―――それも、伝承の繰り返される寸前の映像が―――物凄い速さで流れていたのだ。




ある時は―――



ある時は忍人との婚礼の最中に服毒暗殺によりが死に・・・国許の葛城に裏切られ、だまし討ちにされて忍人は死に・・・逃避行しようとした折に二人は狭井君の追撃に倒れ・・・。



こんなに遅くになって思い出すまでに二人は何度も、何度も・・・数え切れない程、互いが互いのどちらかを失うという伝承を繰り返してきた。
今まで自分の人生は一度きりだと思ってきただけに、信じられない。だが、この場面一つ一つから幾千の感情や、その時の状況が鮮やかに蘇ってきてはそれらを現実のものだったと知らしめる。
特に、出雲に着くまでに彼女に会うたびに感じていた不思議な郷愁、それがここにきてようやく辻褄の合うものとなったから。



流れ込んでくる莫大な記憶の量をただただその身に受け止めて、忍人はやはり確信した。



そして再び、映像は途切れ―――・・・またゆっくりと、一つの過去が流れ出した。








それは虹色の空間で、や自分達が―――中には無論風早達も控えて―――あの黒い龍と向き合っていた。
の表情を見てみれば、なにやら苦渋に満ちた顔をしながらも毅然として、龍に何かを必死に訴えかけている。



「・・・もう、止めろっ!」


最初に聞こえたのはやはり、自分の声―――戦いに乱れ、汚れた服を纏いながら忍人同様満身創痍なに叫ぶ。


「それ以上力を使うな! もう・・・頑張らなくていい・・・! また国を救っても君の力を妬み排除しようとするものは出てくる! 幼い時のように、また辛い思いをすることになるんだぞ!」


黒い龍を取り囲んでいた妖しい鈍色光が勢いを増すと、の細い身体はそれに飲み込まれるかのように黒い龍へといとも簡単に引きずられてゆく。
慌てて忍人は駆けつけようとするが、巻き添えを食らうことを恐れた風早に止められる。それでもその拘束を破るためにもがく彼を、ゆっくりと振り返りながらは笑った。




「ええ、わかってる。 ・・・でも、気付いたの。
 私は―――それでも忍人さんや皆が笑って暮らせる世界が好き。創りたい。
 そして、守りたいって―――」



ふわり。


まるでこの世のものとは思えない透明な微笑を残して、再びは両の手を龍に向けた。
途端、全身からは白く神々しい光が溢れ出し、それが有効なのか龍は苦しむかのようにして叫び声を上げながらその長い身体をくねらし始める。忍人の言葉など最早決意をしてしまった彼女には届かないのであろう―――迷うことなくその白い光を暗闇に注ぎ、龍の体内へと引きずり込まれてゆく。
確実にじり、じり、と縮まる距離。それを目にするたびに、忍人の抵抗は激しさを増すがついに、激しい白光とともに彼女と―――全世界の脅威の、あの黒い龍は消えた。



「止めろ・・・! 止めろ――――――ッ・・・」









の名を叫ぶ自分の声がまるで幕引きだとでもいうように、追憶の螺旋はそれを期に終焉を迎えた・・・・・・。