第十六話「百八十八ノ死ハ空座ノ審判ヲ超ヘテ」





さあ  意味無き世界よ







破滅へ 向かえ






<「再臨詔」第16話「百八十八ノ死ハ空座ノ審判ヲ超ヘテ」>



幾千の重い音が響き渡り、周囲を囲んでいる森に眠っていた鳥たちは一斉に飛び立つ。しいんと静まり返った夜半に、ただただ男達の怒号がこだまする。


「どけっ・・・! でなければ斬り捨てるぞ!」

「でっ、ですが、・・・殿下!」


まるで蟻の大群が行列を作るかのようにごった返した兵を押しのけ、ようやくのことでアシュヴィンは命を下した張本人の目の前に駆けつけた。
そして、息を切らして大声で問う。



「これは一体どういうことですか、父上!」

「・・・・・・・・・」

「アシュ、お前が一番良く知っているだろう」


怪しい光を纏った皇の近くには実の兄、ナーサティヤが控えており、高台から見下ろしてくる。その眼光は恐ろしいほど冷たいもので、この出撃が生半可なものではないのだと悟る。


「・・・この地には白きものの使い・・・白き神子がいる・・・」

「父上・・・! ですが、出雲は我らが弟若雷の治める地・・・当の本人はこの出撃を知りませぬ! このまま祭りの開かれている出雲郷に砲撃を打ち込めば、彼とて無事では済みますまい」

「それがどうした」

「な・・・・・・・・・」


最近の父の異常とも言える侵略は気に留めてはいたが、まさか実の子を攻撃に巻き込むことまでして叛徒制圧にむかうことまではないだろう。そう思えど、今の彼の表情や周囲を取り囲む妖気から判断すると、その確信すら怪しいものになってくる。
まさか、とは思いながらも、この冷や汗は噴出すことをやめない。


「それがどのような問題を孕んでいるかと、訊いているのだ・・・アシュヴィンよ」

「・・・・・・・・・・」


驚愕に二言目が続かないのを目にしたナーサティヤは静かに目を伏せて、ゆっくりとため息を吐いた。


「叛徒が筆頭・・・白き龍神の神子。 この脅威取り除かば、世界に平穏は無い」

「・・・そのためになら、手段を選ばないということですか」

「笑止。 無論」


当然のように言ってのける血の繋がった父。その瞳はナーサティヤよりも冷たく、闇に沈んでいる。もう既に豪傑の指は出撃にむけて示され準備ももうすぐ完了しようとしている。
最早止めることは出来ないのか。
そうして、叛徒の真意も知らないまま砲撃の元にすべてを鎮圧してその先に、明るい未来がくると本気で思っているのだろうか。

その結果生み出された犠牲は?

皇に忠誠を誓って、この出雲を今まで護っていた者たちの意志すらも踏みにじって、それでもこの国を良い方向へと導いてゆくというのだろうか。



「・・・解したならば今すぐ砲撃隊を率い、出雲へと進軍せよ」

「・・・・・・・・・・」


これが、かつて敬愛した父の偉大なる姿なのか。


「白き龍神の神子を消すのだ。 ・・この深き、意味なき世界に終止符を・・・終止符を打つのだ」

「・・・・・・・・・・・・・」


あの黒い太陽さえこの世界になければ少しはよくなっていたのかもしれない。だが、あれを取り除くことは不可能だ。もう、起きてしまった事象は回避することは出来ない。
今はただ、父の意識の欠片を信じて出雲郷に向かうしかない。

アシュヴィンは無言のままに兵を率い、出撃の合図を送った。














風早はこちらの世界の祭りは大変厳かなものだといっていたけれど、異世界にいた時とあまり変わりないように感じた。社の周りには異世界でいう屋台のようなものが軒を連ねており、なにやら香ばしい香りが漂ってきて食欲を誘う。
ささやかながらお囃子の音も聞こえてきて、ここは橿原さながらの風景だ。それも出雲の領主、シャニの趣向基心遣い、といったところかもしれない。

祭りの会場、出雲郷についてからというもの各自自由行動をすることになった。なにやら神の磐座に光の橋が架かるのは丁度月が天頂にくる夜半頃になるという。だから一行はそれまで各々祭りを楽しむことになったのだ。
散り散りになったなかでは何かと自分を心配してくれていた風早と行動を共にしようとするが、彼は岩長姫に柊と共に引っ張られていってしまった。岩長姫は風早の剣の師匠だし、柊とは旧知の仲なのだからいつも私ばかり独占していても悪いよね・・・と少し反省しながら、どこへ行くこともなくただ村の中を彷徨っていた。
きっと那岐は面倒くさいとかいって村の外へ出て行ってしまっただろうし、特に誰とも話す気が起きなかった。
それよりも、度重なる気苦労と対峙することに躍起になっていたのだ。




私は本当にこの国をまとめる資格があるの?

きちんと犠牲の重さを背負っていける器量があるの?

何故、私は・・・あの人に・・・急に避けられてしまうことになったのだろう。


それに―――・・・。



何だろう、この胸さわぎ・・・。


祭りの明るい照明の中では落ち着いて考えることが出来ないと思って、は少々村から離れた小道へと足を伸ばす。とぼとぼと歩を進めるうちに周囲の闇は増してゆき、音は次第になくなっていって、ふと村のほうを振り返ればまるで色とりどりの宝石がきらきらと輝いているかのようだった。
そんな華やかさか、非日常に己が高ぶっているのかは分からないが先ほどから何か妙な胸騒ぎがするのだ。この後の磐座の件に緊張していないかとえば嘘になるが、神の加護を受ける試練というものは今まで二度も体験している。今の自分で神に勝てるかという自信は確実ではないが、皆の助力もあるためなんとかなるとは思っている。
それなのに、こんなにも不安な気持ちが湧き出してくるのは何故なのだろう。


「・・・・・・・・」


分からないことが多すぎて、思考を止めてしまいたい。
俯いて大きなため息をつけば、夏の暖かい空気に融解して消えていった。


「・・・・・・・っ」


しかし再び顔を上げたとき、は一気に現実に引き戻されることになった。


『なっ、なんで・・・こんなところに忍人さんがいるの?』


薄い闇が広がる中で、小道の路肩に忍人がいた。
しかしその様子はどこかおかしい。
いつものように起立して警護にあたっているわけでもなく、あの彼が供をつけることなく―――身を折って激しく咳き込んでいるのだ。
すぐにでも駆けつけて、助けなければ―――そう思って足に力を込めるが、あの言葉がそれを拒む。

二度と、金輪際あの人には近づいてはいけない・・・。

けれども、今一人の人間が目の前で苦しんでいるのだ。以前目にした老人の姿が脳裏に浮かび、は戸惑う。まさか彼が荒魂に乗っ取られたなどということは恐らく無いだろうが、それでも目の前で苦しんでいる人間をかつての自分は助けることが出来なかった。
そして今日も、自分は言葉に惑わされて苦しんでいる人を助けられないのか?
そう思った瞬間、は無意識のうちに駆け出していた。


「大丈夫ですかっ、おしひ――――――」


そう、が叫んだ瞬間だった――――――。













ドオオオオオオオン・・・!!








「きゃあああっ!」


「っ!? ニノ姫・・・!?」



突然大地が揺れ、着地が上手く出来なかったは派手に転んでしまう。それに気がついた忍人は体勢を整えながらも、に駆け寄ってきた。


「一体こんなところで何をしているんだ・・・! 君は、俺があれだけ供をつけろと―――」

「忍人さんが心配でっ! だって、さっきここで咳き込んでいたじゃないですか・・・!」


キッと睨み上げてみれば、忍人は一瞬の瞳を覗きこんだ後、その強い視線を振りほどくかのように先ほどの爆撃音のした方角―――出雲郷のほうを見た。それにつられて起き上がっても同じ方向を伺う、と――――――



「ああっ・・・! 出雲郷が・・・!」

「村が・・・燃えている・・・!」


先ほどまでゆらゆらと煌いていた宝石の光はごうごうと音を出して炎上しており、あちこちから黒い煙が上がっている。同時に耳をすませなくとも聞こえてくる人々の逃げ惑う声。
一体何が起きたのだろうと思って郷の周囲を見渡せば、郷の背後にある山から黒々とした――――――煉獄の焔を纏った太陽が昇りつつある。


「何・・・あれ――――――」


良く見れば出雲の官吏達も逃げ惑い、若雷を捜している。ということはこれは常世の国の攻撃ではないだろう。中つ国はここで争いを起こすつもりは毛頭ないのだから、この攻撃は第三勢力のものか。
しかし、常世と中つ国の他に、脅威になる勢力はどこにもないはずだ。各地に独自の勢力をもった団体はあろうが、この国の火力や資源を管理するのは常世のはずで、第一あの大きな戦から五年しか経っていない今戦力を蓄えられる勢力など皆無なはずだ。
だとしたら、一体誰があのような爆撃を起こせるというのだろう。


まさか、あの太陽が放ったのでは。そこまで考えて、忍人は自分の考察を鼻で笑った。太陽が攻撃するなど、何をばかげたことを考えているのだ、と。
世迷言に現を抜かしている場合ではない、早く村に戻らなければ・・・そう思った時。


なにやら太陽の中に蠢く影があり、それに良く目を凝らして見れば――――――血色の瞳と目が合った。






村と小道を繋ぐ境に、光線が横一直線に走り、やや遅れてそこから一気に爆発が起こった。




「うああああっ!」

「くっ・・・!」




爆風に人間が耐え切れるわけもなく吹き飛ばされ、再び目にしたのは太陽の殻を破って天に昇る―――黒い龍。バキンバキンという鈍い音を村一帯に響き渡らせ、がぱっと開かれた喉奥からは漆黒の炎を覗かせている。そしてその炎を眼下にある出雲郷へむけて迷うことなく吐き出した。



「ひ・・・酷い・・・」



遠目から見ていてもわかる。
吐かれた炎になすすべも無く焼かれて、そのまま黒ずんだ炭になって跡形もなく崩れ落ちてゆく人間。それが女子供だろうと容赦はなく、ただ無尽蔵に全てを焼き尽くしていく。まるで、この世の全てのものに生きることを許さないといったふうに。
惨い光景に涙を流すをよそに、ついに龍は山の上から飛び立ち、あの煉獄の炎を周囲に吐き散らしながらのろのろと何かを探すかのように飛行を始めた。



「っ・・・」



自ら近づくことを拒んだ。
それは彼女を目にするたびに、明らかに『殺意』が脳を麻痺させたから。
自らの理性の範疇を越えた先で、彼女を殺せ、との声が止まないから。


だが、最早そんなことを言っている場合ではないのだ。



強く、彼女の細い腕を掴んで言った。



「逃げるぞ、ニノ姫!!」


「あっ、・・・は・・・はいっ!」




















何がなんだかわからなかった。




でも、ここにいては危ないということだけは分かった。





そして、段々と明らかになる黒い龍の探しもの。





が逃げる先々で、黒い龍はその猛威を振るった。どんなにが逃げても、隠れても、の後を執拗に破壊してまわっていた。








黒い龍の探しものは、そのものだったのだ。








離れ離れにならないように、しっかりと手を繋いで、忍人とは逃げる。状況が上手く飲み込めなくて立ち往生する人々に注意を促す暇さえ与えられることはなく、ごめんなさいと叫ぶうちに飛んできた炎に民々は焼き殺されてゆく。





ああ――――――


私はまた、何も護れずに人を見捨てる。殺してゆく。


謝ることしかできずに、行動も示せないうちに私は・・・死ぬのか。





涙に明るい視界がぼやけるなか、ただ力強い引力に導かれて。もうこうしてどのくらい走ったのだろうか。出雲郷にいた仲間達すら残して、今どこにいるか分からない場所に逃げて。
あんなに「護る」と高らかに叫びながら国の再興へと向けて兵を集めたのに、肝心な大事というときに自分は逃げて、罪の無い人間ばかり巻き込んでしまった。これでは、未来の王になる資格など無いに決まっている。






突如ぴたり、との足が止まった。



「っ! おい、ニノ姫・・・!?」


「・・・・・・・・・」


そしてゆらりと振り返り、まるで真昼のように照らされた天を睨み上げる。
程なくして現れた血色の目をぎょろりとさせた、黒い龍。
たった一人の命を狩るためだけに、幾千の尊い命を業火に焼いてきた無慈悲な龍――――――。
溢れる涙を堪えることなど最早出来るわけなく、止め処なく流し、ぎろりと強い視線でその瞳を睨みつけた。




「もう止めて! 私を狙っているのなら、・・・私だけを殺してよ!!」

「な・・・っ」

「どうせ私には龍の声も聞こえない・・・。 大切な人も、守りたい人も、何も、守れない・・・。 だったら、私だけ殺して・・・。 皆まで巻き込まないで!」


の必死な訴えを聞いているのかいないのか―――龍はその大きな口をあけて、再びあの死の炎をくゆらせ始めた。


「止めろ、ニノ姫! 何をしている、今すぐ逃げるんだっ」

「・・・・・・っ」


忍人は必死に叫ぶが、当の本人はその場から頑なに動こうとはしない。もうすぐにでもあの脅威が彼女を灰にしてしまうというのに、蒼穹色の大きな瞳に涙を溜めてただあの大きな目を睨んで。
少し離れた場所にいた忍人短い舌打ちをした後、を守るために不動の彼女に覆いかぶさるようにして飛び掛る。




同時に、龍の炎がその場を瞬時にして無に染めた。






耳をも劈く爆風の中―――派手に吹き飛ばされる忍人の腕の中で、は失意の嵐に意識を飛ばした。