第十三話「殺意」




無音の世界。ただ、ひゅうひゅうと耳元で風の流れる音だけが、頼りなく存在を告げる。

真っ暗闇。ゆっくりと目を開けるが、目の前には何も無い。この世界に召還されたときに迷い込んだ場所のようにきらきら と七色に輝いた場所であれば、どんなによかっただろう。
しかし、光源は見つからないのに何故か自分だけは煌々と何かに照らされていて、浮き彫りになっている。


確か今まで自分は天鳥船の自室にいたはずなのに、一体ここは何処だろう。
今までの光景とは全く違う空間に段々と不安になってきて、何かにつかまろうと手を伸ばせども、何も触れることは出来ない。 しかし今自分は座っていられるのだからせめて床はあるはず、と慌てて床に触れるが、何故かそこにはなにもなく、その瞬間 ぐらりと身体は揺れ、一気に均衡を失ってしまう。
胴体は180度回転し、瞬間的に落ちる、と目を瞑って受身を取るが―――一向に床らしきものに触れる気配はなく、代わり にふわふわと浮いているような感覚がの脳に伝わった。




浮いてる?

なんで?

―――わからない。

でも、確かに浮いてる。

何処に?

―――わからない。




宙吊り状態でこのままいつまでいることになるんだろう・・・そう、不安が過った瞬間だった。



「・・・よ・・・み・・・よ・・・・・・」



遠く、聞きなれた声が大げさに響く。この黒い空間目一杯に広がるように、大きく、低い声の調子で。
何か雑音のようなものにさえぎられているように途切れ途切れだったが、記憶の中にあるあらゆる人物の声を思い出して、 やっとは気付く。この威厳のなかにもどこか寂しそうな声、そしてこの深い深い、まるで凍ってしまいそうなほどの 闇は―――。


「その時目前の者を刃の贄とせよ。さすれば、白き国は永久に神の恵を受けられるだろう―――」




<「再臨詔」第13話「殺意」>


・・・ひた。


・・・ひた。




兵も寝静まった深夜の天鳥船の廊下に、素足で歩く音が静かにこだまする。
廊下にはところどころ交代で見張りの兵士が立っているはずだが、今日は何故か皆持ち場で眠ってしまっていた。
まるで眠りの眩惑にでも惑わされたかのように、深くぐっすりと。
故に誰も、その音を止めるものはいなかった。


・・・ひた、ひた・・・


その音は規則正しく鳴り、ついに皆の寝所にまで至る。
何をするかと思いきや、音は何にも興味を示すことなく、兵士が入り乱れている部屋をかいくぐってゆく。
無論交代に訪れる者はいないので、とうに篝火など消えてしまっているのに、その足音に迷いは一切無かった。
まるでこの暗闇のなかでも目がきくとでもいうように、ひたり、ひたりと歩むのをやめない。

寝所を抜けた音は、そのまままた廊下へと伸びた。
すると、今までまっすぐにしか進まなかった音が急に曲がる。やはり、何か目的があってどこかに向かっているようだ。
漆黒にふと伸びる青い光―――一条の光に導かれるようにして、足音はそれに吸い込まれてゆく。
どんどん光が強まる。次第に心地よい風も吹いてきて、視界が開ける―――ようやく、音は、止んだ。





「・・・・・・どうした、こんな夜更けに」


目の前の男は相変わらずの風貌で、雄大な景色を眺めていた。


「・・・・・・・・・」

「・・・・・・聞いているのか? どうしてこんな夜更けに、そしてこんな場所にまた共も連れずに来たと聞いている」

「・・・・・・・・・あ・・・」



ひたり。
まるで何かに驚いたかのように、足音は短く鳴る。


「・・・大丈夫か? 視点が定まっていない」


この天鳥船から眺めることのできる壮観な風景を背景にして、その男―――葛城忍人は歩み寄る。足音の原因である 彼女―――があまりにも虚ろな目をしていたからだった。
忍人は先の彼女と風早とのやりとりを思い出して少し、苦い表情を浮かべた。そして何か気持ちを切り替えるかのように 短くため息をつき、の目の前でひらひらと手を振る。


「見えるか?」

「え、あ、・・・はい。・・・ごめんなさい・・・・・・」


全く、風早も困ったものだ・・・そう、彼女には聞こえないように、小さな声で忍人は愚痴る。

ほうけている彼女の様子を伺うために良く見ると、まだ頬には涙の跡筋がくっきりと見える。特に月光に照らされている から良く分かるのだ。
きっと、風早がそっと寝所を後にしたあとも彼女はまた声を押し殺して泣いていたのだろう。

そう思うと、先ほどはああ叱ったものの、改めて己の浅慮に反省せざるをえなくなって―――だから彼は無用心なに何も言えなくなってしまった。

しかし、こういった場合どうやって慰めて良いかもわからない。その上立ち聞きをしていたなど無礼な行動以外の何ものでも なくて、無下に優しい対応をするのは不自然すぎた。
自分の瞳を見上げる蒼穹の瞳は月光と名残涙を反射してきらきらと輝き、彼女の桜色の唇は今にでも泣き言をこぼしそうなほど 小さく震えている。滑らかな白い肌も瞳同様、青い光を反射して暗い闇にぽっかりと浮き彫りになっている。

ああ、どうしてこんなにも危ういのだろう。

そんな言葉が頭を過った。
そしてこんなにも危うくて、なにかで繋ぎとめておかないと今にでもこの深い暗黒に溶けていってしまいそうなのに、 どうしても手が伸びない自分を呪う。
伸びないのか、それとも本能が「伸ばすな」といっているのか、それは定かではない。ただ、無意識のうちに彼女に触れること は憚られるとどこかで知っていた。それは先の出来事への反発からきているのかもしれない。それでも、何故か違うという確信 があった。



「・・・にか・・・・・・」

「ん?」

「な・・・にか――――――」


ふと桜色が揺れる。小さいそこから洩れた言葉は風に乗り、忍人の耳へと確かに届く。


「何か――――――しなければならないことがあった気がして―――・・・・・・ここに、来た・・・・・・」

「君は・・・・・・」


ずきん、と忍人の心臓が痛む。
虚ろな瞳ながらも忍人の瞳をきっ、と見据えるそれは何よりも頑なな意思の炎を燃やしていて、その言葉は忍人にも不思議な 郷愁をもたらす。
胸を抉られるような感覚―――だが、この感覚はきっと、はじめてではない・・・。そう、この痛みは経験したことが確かに ある。
それはあの不思議な桜吹雪の白昼夢を見たとき、そして、五年前―――橿原宮陥落時に、王宮の門前で漠然と「逃げろ」と ひたすら願ったとき―――。
身震いするほどの懐かしさ、胸の奥を劈くような茹(う)だる切なさ、そして身体全体に電撃のように走る細い痛み。
そして―――。


『大いなる選択の星取夜、この世界を救いたくば、龍神の神子を殺めるのです、葛城忍人』


・・・まさかな。
また下らないことを考えてしまったと己の浅はかさを嘲笑って、忍人は頭を軽く振る。
しかしの言葉が嘘とは思えないのは確かだった。


「何か・・・何か・・・。私は何かをしなければ、なら、な・・・い・・・・・・の・・・に―――・・・・・・」


何かうわごとを呟くようにもごもごと口元が動いたかと思えば、まるでそのまま深い眠りにいざなわれるかのように 瞼が落ちて―――。


「おっ、おいっ!」

ついにがくり、との足から力が抜け、そのままの勢いで地面へと崩れ落ちそうになる。
この堅庭の床はそれこそ場所の名前の由来ではないが、堅い。このまま倒れて彼女が頭でも打ったら大変なことになる――― 忍人は慌てての腰へ腕を回し、もう一方の腕で地との距離を急速に縮める背を支える。

いくら女とはいえその全体重が重力をそのまままともに受けた状態では、体感質量が重くないわけが無い。
特に重心の腰を支えていた腕にぐん、と力がかかり、苦渋の表情を浮かべる。かかる力を受け流すためにやや下方へと 身体は沈むが、なんとか地面に付くまでには速度を落とすことが出来た。

ぴたり、と止まった彼女の身体。眼は眠るように閉じられていて、一瞬焦ったが、


「おいっ! どうしたんだ・・・目を開けろっ」

「・・・っ・・・う・・・・・・うう、・・・あれ?」


程なくしては再び目をあけた。
しかし、今度はあの虚ろな色を宿していなく、いつも通りの彼女の瞳に戻っていて。
一体なんなんだ、とぼやく忍人の腕の中で、どこまでもマイペースなのか。
彼女は途端にきょろきょろ落ち着きをなくす。


「また一体どうしたんだ・・・どこか痛いの―――」

「お守りが無いっ! 桜のお守りが、無いのっ!」

「お、おい・・・」


先ほどまでぼうっとしていたのが嘘のようだ。
身体を反転させて素早く忍人の拘束を破り、は我を失ったかのように血眼で暗い床をなにやら手探りで探している。
ここの床は石で出来ているうえにごつごつと切りそろえられていないまばらな石が敷き詰められている。故に、こんなに 荒っぽく探していては彼女の指が傷だらけになることは容易に想像出来た。
それなのに彼女はそんなことは気にしていられないとでもいうように必死に手を床に這いずりまわしている。

「待てっ。俺も一緒に探すから―――」

「・・・っでも!」

彼女の白い手を無理やり取って見れば、やはりその絹のような肌に細かい切り傷や擦り傷が無数にできていた。
大切なものならば必ず自分の手で見つけ出したい彼女だろうとは分かっている。だが、その傷を見た忍人にはもうこれ以上 自ら進んで彼女自身が傷つく必要などないと強く思えて。
未だ抵抗を示し床をもどかしそうに見つめる彼女の視線を無理やり押し切って、床に視線を集中させる。しかしやはり床は 思った以上に暗くて、僅かながら月という光源はあれど足元すらまともに見れる状態ではない。
短い舌打ちの後そこでふと思いついて、おもむろに片方の破魂刀を抜き光源を長い刀身に反射させて床を照らした。

すると、刹那きらりと黄金に光るものが足元にあって、これか、と拾い上げてに見せる。


「ああ・・・よかった・・・! これ・・・これです、桜のお守り。よかったぁ・・・有難うございますっ!」


いや・・・と短く応えて、強く掴んでいたの手を無言のうちに離す。普段の彼ならそれから小一時間説教が始まるところ
だが、今日の彼が何時にも増して口数が少ないのは、やはり先刻の出来事と、あの郷愁の謎が再び胸に暗雲を作り出していた からだ。
それから特に何も言えず、桜のお守りを持ったそのままの格好で固まってしまう。

すると、沈黙に耐えかねたのか、は忍人の手の中にあるお守りのことについて話し始めた。


「それは・・・風早が、まだ私が小さいときにつくってくれたお守りなんです。って、小さい時っていっても、記憶が無いし・・・あ、風早が言うには、橿原宮にいた時に作ったものらしいんですけど」

「・・・・・・・・・」

「でも、不思議ですよね・・・。橿原宮で落ち込んでた時も、このお守りに入ってる桜の花びらを見ればなんだか安心した記憶はぼんやりとあるんです。そして・・・今も、それは変わらなくて・・・」


そう言われて改めて見てみると、いかにも風早らしい。高級そうな細やかな装飾が施された金の縁取りを損ねることなく 透明な生地で押し花にしていて、空気が一切入らないように所々に工夫が凝らしてあり、おかげで花びら本体は 当時の面影をそっくりそのまま残しているかのように鮮やかな桃色を誇っていた。
それに穴が穿ってあり、そこには朱色の紐が通されていて、その先にはまた金の縁取りとなにか宝珠のようなものが はめられていた。その色は中心になればなるほど深い茶を増していて、しかし表面付近の色はどこまでも透明に澄んでいて、 その色の明暗に思わず感銘を受けずにはいられない。


「このお守りがあれば、安心する。まるで遠いどこかで、誰かが私を見守っていてくれているような気がするんです」


ひとしきり概観を味わった後、お守りから目を離してはっとした。
忍人を見上げて話す瞳はなによりも暖かい光を宿し、その微笑は朗らかでなによりも愛らしく、美しく、そして―――・・・


「・・・・・・っ!」


また、あの心の底を掻き毟るような郷愁の津波が喉の奥を強く締め付けた。


「・・・忍人さん?」

思わず胸元を掴み、押さえてしまう。そんな彼を心配するかのようには寄り添い、表情を伺おうとしてくる。
しかしこんな意味の分からない感情に支配されて苦渋の表情を浮かべている自分など恥以外のなにものでもないから 彼は代わりにずっと手にしていたお守りを、目の前にずいと突き出し、不恰好な笑顔を浮かべてこの場を凌ごうとした。


「・・・ほら。大事なものなのだろう? もうなくさないように、今度はしっかり保管しておくことだ」


「あ・・・っはい。ありがと――――――」






忍人との手が触れ、静かな星空の下、ふと二人の視線が交わったその時だった。








  『  大 い  な   る   選 択 の 星  取  夜   、


         
     この 世   界 を    救い た   くば 、 


        
         龍  神の神子   を    殺める   の    で   す、


        
               

        葛   城      忍   人   』












「  や  め  ろ  っ  !  !  !  」










―――――― ドンッ !!






「あっ・・・!!」






ズザァァッ・・・!






何か重たく、しかし中身の詰まったものを突き飛ばす音の後に少し遅れてそれが地面に叩きつけられる音が、深夜の 堅庭に大きく響く――――――。

ひいやりと冷たく、そして不揃いな石畳の上に投げ出されたには、一体今何が自分の身に起きたのかさっぱり
わからなかった。


ただ、おぼろげながら分かるのは二つの痛み。


一つは、突き飛ばされたことによる肉体的苦痛。
もう一つは、突き放されたことによる精神的苦痛――――――。


「おし、ひと・・・さん・・・・・・・・・??」


肉体と精神がまるでさっきの衝撃で引き裂かれてしまったかのように、今は身体を動かすことが不自由だ。全身の力は 抜け、まるで油が切れた人形のように動きはぎこちない。
それでもようやく床に伏せていた体を上半身だけ起こし、後ろへ捩り、乾いた眼球に彼を映すことが出来た。



の視線の先にいたのは―――。






「金輪際俺に関わるな!!」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

「一切だ!! 絶対に!! もう、二度と・・・・・・」










  二度と、俺の目の前に現れるな。





























・・・・・・・・・・・・ぱた ぱた ぱたっ・・・・・・



庭から部屋に続く廊下に、足音がこだまする。
素足で走る故に高いそれは、段々と小さくなって闇に消えていった。


だが――――――



「っは・・・はぁっ、はぁっ・・・!」






  これで、良かったのだ。

  そう、これで―――――――――・・・・・・。




忍人は背後にあった石の壁に身体を預けるようにして、力なく座り込む。
そして満天の星空を見上げながら、ただぼんやりとそう思った。
握っていた破魂刀の柄から汗が流れ落ち、段々と手に籠もっていた握力は緩んでゆく。
そう、まるで、彼女がいなくなったことを落胆するかのように。









ようやく彼女の笑を守ろうと思えたばかりなのに・・・。

また彼女を泣かせてしまった、かな・・・・・・。










だが、これでいい。

良くは分からないが、この意思だけは何ものにも増して、脅威なのだから。





まるでこの世のものとは思えぬほどのあどけなく、そして美しい微笑を浮かべたに対して 湧き上がったこの抑えきれぬ『殺意』は・・・この国にとって、脅威・・・なのだから。



まさか彼女を殺めての幸福などこの世に存在しない・・・理性ではそう分かっている。
しかし、彼女への弑する意思は確かに存在する・・・本能ではそう分かっている。
二つの相反する想いは互いに巨大な螺旋になって忍人の胸中を狂わせてゆく。





どうして、俺は彼女を泣かせることしか出来ないのだろう。

どうしてかは、分からないが。

だが、これでいい。

これで、いいんだ――――――・・・。




忍人は自分に言い聞かせるようにして繰り返しぼやき、短い呼吸を雄大な暗澹たる天空に溶かすと、 ようやく訪れた心地よい孤独のまどろみに瞼を閉じる。
その上空を見上げて眠る様はまるで、空坐の神に許しを請うているようだった。








そしていよいよ、散り散りになったそれぞれの思惑を乗せて
天鳥船は運命の地、出雲へと羽ばたく。




















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近づいたと思った途端の急展開。いかがだったでしょうか。
さて、ここから話は少し原作を辿った後にひとつめの佳境を迎えることになります。
今までの伏線の大部分もおそらく、そこで決着がつくと思います―――が、そこで終わらせない のがドSの所以(笑)
また新たな伏線が出てきますので、お楽しみに^^

今回の話、ですね。一応転機といっちゃあ転機にあたるので結構描きたかったシーンでもありま す。
エイカの言っていた予言を全く信じていなかった忍人ですが、何故かの力になりたい、と 思った瞬間にに対して強烈な殺意が芽生え、その言葉を信じ始めてしまう―――。
何故そうしたいのかはわからないけれど、そうしなくちゃいけない・・・そう、感じ始めるので 御座います。

故に、自分を危険人物だと判断した彼はを突き放します。
折角、良い雰囲気だったのに、近づいたと思った瞬間に幸せというものは消え去ってしまうもの なんですよね。悲しいことに。

にとって最近は結構精神的にグロッキーなことが多かったので、今回のことは相当心に傷を 残したと思います。どうせ突き放されるくらいなら、最初からなかったほうがマシだ、という心 理は誰にもあると思うのです。まぁ、この後彼女がどう思うかは、また次回へのお楽しみという ことにしておきますね^^

また、今回はもまるで朱雀を鎮めた那岐のような状態になりました。それは何でかと申しま すと―――まぁ、ぶっちゃけもうそろそろ「転機」が訪れるフラグなのですがね(笑)


思い出す、ふたつの予言。それは間違えなく核心に迫る予告なので御座います。


今回もそうだけどめっちゃ書きたくなってきましたこの連載(いや、今までも勿論そうだったけ ど!それ以上に萌え発散度(?)が上昇しまくってます!)
なかなかすれ違いな人間関係ですが、必ずハッピーエンドですので、もう少々お付き合いくださ いませ^^




4:20 2008/11/05