第十二話「せめて、わらって」



憂い顔の意味など考える余地もなく


俺は今日も、後悔の自責を重ねる。



ああ、どうしてこんなにも俺は守れないのだろう?


ああ、どうしてこんなにも君はすぐ近くにいるのだろう?


ああ―――どうしようもなく、この指先は限界を知るのだ





今にでも触れられる君に



触れることが出来ないのは、何故―――。








<「再臨詔」第12話「せめて、わらって」>



奇しくも常世の国の皇子二人との絶望的な戦いを制した一行は、未だはびこる荒魂を満身創痍ながらもなぎ倒しつつ ようやく根城へとたどり着いた。
すると生きているのかはわからないが、天鳥船も最早ここには用は無いといった様子で、皆が乗り込んだ後には ゆっくりと再び空の大海へと羽を広げ、次なる目的地であろう出雲へとゆっくりと進路を変えて進む。
船の上では誰もが今命あることに感謝し、戦の緊張から解放され、安堵しきって笑っていた。



ただひとりを除いては。











とんとんとん・・・


夕日が山の向こうに落ちかけた頃、訓練から戻ってきた忍人は回廊の奥からする僅かな音に耳を澄ませた。


「・・・?」


何か堅いものに鋭い刃が何度も当たっているような音で、なおかつそれはまるで音頭を刻むかのように軽やかだ。
それに、その音に遅れて乗ってくるなにやら香ばしい香り。
こんな寂しい場所の先には確か炊事場などなかったはずだが、一体。
そうは思いながらも万が一のことも考えて確かめねばという僅かな好奇心と、何より激しい訓練による 空腹とで、次第に進路は変わった。


まずは逸る気持ちを抑えて音のする扉の前まで来て、相手に気付かれぬようほんの少しの隙間だけ開け、中の様子 を探る。










「なんだ・・・サザキたちか。こんなところで一体何をしている?」

「うっわ!! どど、どどうしたんだよ忍人。今真剣作業中なんだからおどかすなよっ」

長く紅い髪をなにやら音頭に合わせてゆっさゆっさと揺らしながら鍋をかき回していたご機嫌のサザキは、どうやら 忍人の来訪に全く気付かなかったようで声が無様に裏返った。隣ではそれに気付いていたのか気付いていなくとも 常に冷静なのか良く分からない彼の親友(であろう)カリガネが、サザキの煮込む鍋に切った野菜を次々と放り投げて ゆく。
おもむろに鍋の中を覗き込む彼の後ろで、サザキは今にでも『こんな場所で火など使うな』とか『なんだこの不味そうな 料理は』などとお咎めを食らうのではないかと背を凍らせる。


「これは・・・なんだ? 雑煮・・・みたいなものか」

「・・・・・・良く煮込めば消化にも良い。疲れた身体を癒すにはもってこいだ・・・」

「そっ、そうそう。それにカリガネの料理は天下一品だからな! くーっ、もうこの美味そうな匂い、たまらないぜー」


お前さんも食べてみろよと味見を勧めてきたサザキに促されて皿に一口掬って見てみれば、それは透き通った琥珀色を していて。熱を冷ました後にいよいよ味わってみれば触れた舌先から軽やかに香ばしく、しかしだからといって濃厚すぎない 上品な塩味がふわりと広がる。
野蛮だとしか聞いていなかった日向の国の者がこのような繊細な味をつくれるものなのか。
意外な発見に忍人は暫くの間沈黙してしまう。


「な? どうだ、美味いだろう?」

「・・・・・・ああ、後味もすっきりしていて悪くない」

「だってよ、カリガネ! よかったじゃんか。あの天下の葛城将軍に誉められたんだし、自信もって夕餉に出せるなっ」

「ああ・・・・・・・・・」


・・・全く、ここに入ってきたときといい、なにやら自分は相当畏怖されている存在のようだ。普段からそんなに怖い表情を 浮かべているつもりなどないのだが―――まぁ、少なくともなめられるよりかは随分ましか、と妙な納得に気を取られて いると、ふとした瞬間に疑問が上がった。


「・・・? どうしてこんなところで夕餉の準備をしている?」

「あ・・・いやー・・・」

「今日の料理当番は確か風早だったはずだが」


なにやらばつがわるそうにカリガネと目配せをする彼に疑問を抱き、咄嗟に刀に手を伸ばす。―――と。


「わわわわわっ! 別に、これに毒盛ろうとかそんな怪しいことは企んでねぇよっ」

「なら、何か正当な理由があるのだろう? こそこそと隠してないで、話してもらおうか」

「・・・・・・・・・・」


鋭い眼光の緊張のなかで頼れる親友の方向をちらりと伺えば、彼は小さくこくりと頷いた。


「その風早からのお願いとやらでさ。『おそらく今日は夕餉の準備が出来ないと思うので、サザキとカリガネに代わりをお願い出来ますか。あ、くれぐれも規律に厳しい忍人には言わないようにしてくださいね、怒られちゃいますから』・・・だーとさ。あんたも信用されてんなーっ」


おおらかな笑みで嫌味を繰り出した後、鋭い睨みと共に無言の返答を返した忍人を見て、カリガネは料理が上手い から分かるけど、だからといって俺を巻き込むなっつーの、と悪態をぼそぼそと吐く。しかしカリガネは彼とは違って その願い事を快く受け入れているみたいで、とても柔らかな瞳で煮込み鍋の奥を眺めている。サザキ自身は なにか腑に落ちないようだが、彼はどことなく風早の真意を知っているような感じすらする。
だが、これ以上何かを彼らに聞いてもそのはきとした理由を聞いていないのならばこれ以上情報は出てくることは 無いだろう。それに、万が一彼らが食事に毒を盛ろうとしていても先ほどの汁の味に異変はなかったことだし、 もし入れるとしたら今から入れるのだろうから、自分が最後までしっかりと見張っていればいいだけだ。


「信じろって。・・・って、かーっ! おいおい、見張りとか穏便じゃないな、勘弁してくれよ」

「まだ完全に信じきったわけではないからな。よその国出身のお前達が何をしでかすか分かったものではない」

「ははは、そんなんじゃ一生友達できないぜー、忍人ー」

「・・・余計な世話だな」


忍人とサザキの静かなる戦闘が始まるなかで、カリガネは微妙な火加減を調節する。もうそろそろ煮込みも最終段階 だから、くべていた薪を鉄のはさみ器で炎の中から取り出せば火の勢いは弱くなり、赤く光っていた薪はようやく 役目を終えたといわんばかりに黒く沈黙する。
なにやら忍人のほうが口が達者なようで、サザキがムキになって応酬する声が聞こえる。その光景に苦笑を交えながら もう一度鍋の中身を掬って味を確かめてみる。


こってりとした鶏がらの濃い味が口内に広がり、薬草の爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。熱い汁に卵を丸々一つ割って 溶かし、最後の隠し味にと香辛料を少々加えればなんとも食欲を誘う雑炊用の野菜汁が出来上がった。
あとは米だけだが、あらかじめ下準備の間に炊いてあったのですぐにでも食事が始められる。


素朴な装飾が施された底の深い椀へ柔らかめな白米を敷き、出来上がったばかりの野菜汁をたっぷりとかける。ほかほか と湯気を立てながら一粒ずつがつやつやと輝く米を見ていると、自然と空腹になってきてしまう。


「・・・・・・忍人」

「なんだ」

「これを・・・二ノ姫のところへ運んでいって欲しい」

「夕餉を?」

「ああ・・・・・・。私達は、まだ兵の分まで用意しなくてはならないから・・・・・・・・・」


普段の自分ならその間にまさか毒でも混入させようものなら即座に斬り捨てるぞ、と言っていたところだが、あのカリガネの 誰かを気遣い優しく労わるような表情を見ていたらそれも言えなくなってしまうではないか。
しぶしぶと、野菜の雑炊と冷たい井戸水、そしてささやかな渡来菓子がのった盆をしっかりと両手で持って炊事場を後にする。
後ろではサザキがずるいだとかカリガネに対して何で俺に行かせなかっただとかなにやらがみがみ言っていたが、これ以上 介入してもめんどくさい上に折角の出来立てが冷めてしまうだけなので、そそくさと退散することにしよう。




・・・・・・それにしても、何故俺が?



長い長い、質素な回廊をただ巡るうちに段々と暇になってきて、ふとした疑問がわきあがる。確かにあの場にいた者の 誰でも良かったなら、唯鍋を無造作にかき回していたサザキでも良かったはず。間違えなく彼は料理において戦力として数え られていない。
―――しかし、考えれど良く分からない。唯の偶然とも考えられるわけだし、それにやはり彼は自分達が『余所者』だという ことをきちんと弁えているのかもしれない。そう考えれば彼の印象も少し変わる。無口で普段何を考えているのか良く分からない 男だが、礼儀だとか身分だとか、そういうことには気が回る性格らしい。
それならなるほど、あの無鉄砲なサザキの相棒も務められるというのも確かに納得のいくものかもしれない。

同時に、カリガネに似た境遇を感じた忍人はどことなく同情してしまう。カリガネにはサザキという身勝手で向こう見ずな統率者 がいて、自分にも無防備で一本気な二ノ姫という統率者がいる。


そういう統率者はたいてい知らないのだ。自分の率いている部下がどれほど彼らのために心を砕き、心配をしているかなど。
いや、知ろうともしているかも分かったものではない。当たり前として気付いていても無視している統率者だっているだろう。

そしてどんなに民間人が犠牲になろうと、兵士が犠牲になろうと、常に保身ばかり考えているのだ。
『皆が生き残るためにはどれだけの犠牲を払えばすむのだろう』ではなく『自分が生き残るにはどれだけの犠牲を払えばすむのだろう』と。
皆上に立つものは優しそうな顔をしていつもそう考えている。偽善の仮面を被っているのだ。
口では皆を守る、皆の幸せな国をつくると言っておきながら―――いざとなればその仲間はすぐにでも『使い捨ての駒』へと変わる。


ひとしきり考えたあと、胸に溜まった暗雲を吐き出すかのように深呼吸をすれば、野菜雑炊の香りが現実へと引き戻した。




もうそろそろ、ここらへんのはずだが。




何回も見回ってみたが、この船はなんといってもとにかく、広い。それに似たような単調な構造も相俟って広さを助長するのだ。
の部屋も皆の部屋の構造と全く一緒で、しかし万が一の敵襲に備えて特に目立つ装飾もしていないから見分けがつきにくい。
わずかな手がかりとしては彼女のいつも身に着けている花冠の一房が扉の上の方にツルに紛れて垂れているだけだ。


目をよく凝らして上部に目を向けていると、ようやく二、三部屋先にその扉を見つけて、足を進める速さを変えた。
もうそろそろ食事時だというのに、彼女は一体またなにをもたもたやっているのだ。
少々苛立ちながら忍人が扉に手にかけた、その時だった。









「・・・・・・ね・・・なの・・・」

「・・でしょうね・・・」


―――中から、聞きなれた声がふたつ。


ひとつはこの部屋にいることが確実に期待されるの声と、その涼やかな声に混じるのは、これまた昔から聞きなれた風早の声。
しいんと静かな部屋、たまにすすり泣く声、それを宥めるような声。
部屋の様子からいってなにやら尋常ではない空気を読み取った彼は、暫くそのままなかの様子を伺うことにした。













「私・・・分かってたはずだった」

「ええ・・・」

「私が助けたことによって逆に苦しんでしまう人や、迷惑に思う人も出てくるって・・・・・・」


泣きはらした瞼はじんと腫れ、酸素不足に脳は痺れ、言葉を上手くつなげられない。短い文章を途切れ途切れに並べて声に出せば、 それでも良いから、ゆっくり話してくださいというように風早は優しく抱きしめたの背をぽんぽん、と撫でてくれた。
それに後押しされて、今までずっと言えなかった―――いや、言っては今の自分が崩れてしまうだろうと思っていた胸のうち を紡ぎだす。


「昔からそうだった。龍神様の声が聞こえないから・・・頑張って色々と努力してみたけど・・・母様、ちっとも喜んでくれなくて。逆に『余計なことはするな』とか・・・怒られちゃったりして・・・・・・」

「橿原の外れの、あの葦の原でよく泣いていましたね。俺は、知っていますよ・・・。いつだって、正しいあなたを見ていた」

泣き虫だね、と自分のことをうつろな微笑で嘲るに苦笑して、『それでも、いいんですよ』と風早はまた背を撫でる。
どくん、どくん、と規則正しい音を繰り返す心臓の鼓動に心地よさを覚えて、彼の広い胸板に頬を押し当ててみればそこから じんわりと温もりが広がる。


「皆を守りたいから頑張ってるけど・・・こんなに犠牲を出してたら、あの女の人が言ってたことも納得しちゃって・・・」


風早は何も喋らない。


「『悪戯に命を散らして、悪戯に戦争を起こしたいだけ』・・・か・・・」


風早は何も語らない。


「ほんとにそう、なの、かなぁ・・・・・・? ・・私・・・っ・・・わたし―――」


ただ、ただ、彼女の震える背を守るように抱きしめるだけ。


「わたしは、ただ、みんなと・・・笑っていたいだけ、なのにっ・・・・・・そんな、みんなを、守れない・・なんて・・・・・・・・・ふがい・・・ない、よ・・・っ」


はたはたと、何回目か分からない涙の雫が風早の襟元をぬらす。じんわりと広がり、ある程度染み込んださきで止まる。
そこから伝わる温度は暖かくも、酷く冷たかった。



「あの女の子のことも・・・結局先のことを考えちゃって、まもれなかった。あの女の人の心も、ぜんぜん救えなかった。もう・・・誰にも傷ついてほしくない。・・・誰にも・・・傷ついてほしくなんか、ない・・・・・・のにっ・・・・・・!」


ぎゅ、と、やり場の無い自らの怒りを拳に滲ませて、本当は大声を上げて泣きたいのにそれでも皆に心配をかけまいと声を押し殺して咽び泣く彼女だということを、彼は知っている。




いつから、彼女はこんな哀しい泣き方を覚えてしまったのだろう?








でもいつだって、そう思っても彼女の心の救い手にはなれなかった。




「でも・・・あんなことを言われてもね・・・。私、それでもみんなのことが、好きなの」



この迷いのない痛々しい笑顔を見るたびに、胸が万力に締め付けられる錯覚すら覚えるというのに。



「風早の、このあたたかさも。この世界のみんなも。・・・まるですごく昔から知ってるみたいに・・・・・・」





   の孤独を救えるのは、俺ではない。

   の中心は、俺ではない。

   の輪廻は、俺ではない。



   でも、―――・・・それでも、俺は。




「・・・・・そうだとしたら・・・素敵ですね」



はその言葉を聞くのと同時に疲れた瞼をゆっくりと下ろした。
そして風早は、床に置いてあった薄い毛布を自分達にかぶさるように覆い、彼女につられるようにして瞼を閉じた。
ゆっくり、ゆっくり。この冷たい体温がどうか、この拙いまどろみに溶けてしまいますように―――・・・そう、願いながら。






「・・・・・・・・・・・・・・・」




一部始終を耳にした忍人は、一言も言葉を発することなく――――――。


音を立てぬよう盆を扉の前に置き、と風早の眠りをさまたげることのないよう静かにその場を離れ そっと、夕闇に消えていった。















++++++++++++++++++++++++++++++



えー、今回はですね。
風早は小さいときからの身の回りにいたので彼女の考えていることがなんとなくわかるのはいいんですが、 自分より後に仲間になったカリガネにすらを思いやる心が劣っていることを知って、将軍が衝撃を受けるシーンを 描きたかったんです。

あとは風早の葛藤とか、それでも俺は見守るよ的な大人っぽさとか、の風早依存度とか。(個人的に風早・柊→⇔忍人
という構図がウマーなのです)
カリガネの料理に垣間見える彼の優しさとか。


「この人物は〜〜なのだろう」「この身分の人間はこう考えるのだろう」など、固定概念が(初期にいたっては)強い 彼ですからね。まぁ、これも五年前の事件が発端なわけですが。
初期のこと、本当に容赦なく忍人は期待してないと思うんです。

皆を信じたいというに、過去の自分を重ねている部分もあるが故に「世の中そんな甘くない」と嫌ってしまう (同属嫌悪的なものもある?)気がするんですよね。特に自分の弱さをなかなか本当の意味で受け入れない忍人ですから、 そういった、純粋という『弱み』を嫌ってしまう気がするんです。過去の弱い自分は大嫌いだという性格っぽいんで・・・。

大切なのはその弱さを受け入れること。
とても大変なことだけれど、今回の伝承で果たして彼とはこの壁を乗り越えてゆけるのでしょうか。
これからが正念場。頑張ります。


そしてサザキと忍人のちょっと嫌味コンビ(?)が好きだったりする琴でした。








4:43 2008/10/26