「時つなぎ 前編」






たくさんのわがままと



どうしようもないやさしさをつれて、





あなたは  でてゆく。









<再臨詔 番外編 「時つなぎ」――前編――>










炎が、この無限とも思える常闇にめらめらと、不気味に揺らめく。


「潔い判断だな。 中つ国の王よ」


流石、龍神の加護を受けると謳われる賢王なだけはあるか――――――下劣で豪快な笑い声が緊縛したこの空間にやけに響く。


己を戒める葦の蔦を振り払おうとするが、堅く縛ってある。そうこう抵抗しているうちに蔦を持っていた兵にうしろからど突かれ、 抵抗も出来ない背はそのままの勢いで地面に叩きつけられた。

頬に大地が当たる。

堅くて、冷たくて――――――痛い。


「お止め下さい、どうかっ・・・陛下!!」


必死に喉を鳴らすも、また再び後ろにいた兵に後ろ首を踏みつけられ、咳き込んでしまう。

こんなことをしている場合ではないのに。

早く、彼女を止めないといけないのに。


「私の・・・家臣の身などお捨て下さい! 貴女は・・・貴女はこの国の王なんだっ・・・!」


喉仏が地に擦り付けられて咽ぶ反射を理性でねじ込めて、自分に近寄ってくる彼女を止めねばならぬのに。



なのに、ああ。



「この妖刀の糧にしては十分すぎる相手だったな。 貴公らの王はあまりにも『人』すぎたのだ」


なによりも守らねばならぬ人が、断頭台に上がってしまう。


「お止め下さい・・・っ!!」

土で汚れ、刃で傷つきすぎた顔をやっとのことで持ち上げて彼女に叫ぶ―――。

ようやくはっきりと目に映った彼女は、今すぐにでも殺されてしまうとわかっているのに・・・笑っていて。












「生きて――――――忍人さん」














「・・・っめろ・・・・・・・っ!


 ・・・・・・やめろ・・・! やめろぉっ!! 


 っーーーーーーーーーーーーーー!!!」





















久方ぶりに呼んだ彼女の名は、ひどく遠い名前に聞こえた。
















***


「・・・っと・・・ひとっ、・・・忍人!」


意識がふっと浮上して、忍人が慌てて目を開ければ。・・・そこにはなにやら驚いた顔をしている風早がいた。


「・・・はぁ・・・っ、は・・・っ! ・・・っう・・・・・・」


その様子を目にした瞬間、堪えきれない悪寒と吐き気が襲ってきて、その場で咳き込んでしまう。


「大丈夫ですか? 何か、悪い夢にでもうなされていたようですが・・・・・・」

「あ、ああ・・・・・・」


何故彼がここにいるのかと問えば、自分は黒龍との最後の戦いで破魂刀を使いすぎたからか―――軍会議の最中に倒れて しまったらしいのだ。
なんて情けないことをしてしまったのだろうと自責しながら乱れた呼吸をとりあえず整えていると、ふと先の夢が蘇ってきて。
そういえば妙に現実的な夢だった。五感何もかもの感覚が鮮明で、今さっきまでの光景がもしかしたら現実だったのではない かと錯覚してしまうほどの。思ってみれば先ほどまで自分の腹や腕に食い込んでいた蔦の感覚すら蘇ってくる。
夢と現実。普段は完全に乖離していて実際には決して交わらないはずの次元。なのに思い出すたびにこんなにも胸を締め付け てくるのは一体何故なのだろう。

その震えは一人で背負うにはあまりにも莫大な気がして、断片を押し出さずにはいられなかった。




「・・・・・・そうか。そんな恐ろしい夢を見たんですね」

「ああ。全く可笑しい話だな。まがい物の夢幻だというのに妙に現実味があって・・・凄く気分が悪い。何故俺が捕まるなんてことになったかは分からないが、手を伸ばそうにも伸ばせなくて、そのまま・・・・・・」

「・・・・・ゆ、め・・・」

「・・・風早?」


先ほどまで色々と訊いてきた彼が、ふと黙り込んでしまった。
一体何かあったのだろうか。


「そう怪訝な面立ちをする必要はあるまい。あれは夢であって、それ以上でも以下でもない。良く言うことだが、夢で見たこ  となど現実には早々起こるまい――――――」


己の下らない妄想に鼻で笑ってみせる。ここ最近は彼女―――が無事常世の国との戦に勝利し、黒龍を鎮め、無事に 王になったことで緊張が解れておかしな夢でも見たのだろう、と。安寧な世の中になったというのに、まったくなかなか自分 も情けないものだと冗談も交えて。
が、次の瞬間終始言葉を濁らせていた風早の口からは信じられない言葉が出たのだった。


「忍人」

「・・な、なんだ、風早」


だから幻だと言っているのに。
なのに彼の表情は今までに見たことがないほど真剣だ。金色(こんじき)の瞳に光が宿り、今から発せられるであろう彼の 言葉に嘘偽りはないのだと知る。




「驚かないで聞いてください。
 それは・・・・・・現実。本当にあったこと・・・そして、これから起ころうとしていることだ」


「な・・・・・・」


「暫く、黙って聞いてください。君は――――――」







それは数千年前に遡る――――――・・・


亡国の姫―――は異世界から戦乱のなかにある豊葦原の中つ国高千穂に舞い降りた。そして暫くのうち、
残党を引き連れて彼女は敵国であった常世の国との戦いに身を投じることになる。
そしてそのなかで同じ国の、葛城忍人という将軍と出会い―――度重なる戦のなかで、二人は絆を深めていった。それは戦 況が常世の軍勢を押し返すほどに深まり、いよいよ常世の国を平定しこの世界を蝕んでいた神、黒龍を沈静する頃には最早 未来の王と家臣という間柄を越えていた。だが、その淡い想いは決して口には出してはならない禁忌。なぜなら、王の心は 決して、誰にも奪われてはいけないのだから―――。

ついに神の怒りを鎮めこの世界を平定し、ようやく王となったは皆を従えて、皆のための政を執り行った。彼女の 国へのそして幸せへの真摯な態度は兵士は勿論のこと、平民にまでいきわたり皆に認められ・・・この世界は悉く恵に満ち 溢れ平和そのものを取り戻していった。

皆の幸福に満ちた笑顔や毎日途絶えることなく捧げられる供物に心癒されるであったが、その胸のうちには小さな渇きがあった。
それは王となった彼女にしかわからない苦悩・・・・・・。



「やはりまだ気がかりか?」

「・・・アシュヴィン。そんなこと、ないわ・・・」

「ここのところいつもぼーっとしているぞ?」



夕刻―――特にあいつが報告に現れた直後は、といわれて話題に上がったのは、先の戦乱で彼女の傍で一番共に戦っていた 忍人のことだった。最近その功績を讃えられて彼は側近にまで昇格したものの、やはり一番すごす時間が多かったのは元敵国の皇子アシュヴィンだ。

そう、中つ国の王と常世の国の皇子は婚礼の儀を執り行い、夫婦(めおと)となったのだった。
―――平和の象徴として。



「まぁ、いい。だが王族の身に生まれてしまった以上、政略の婚礼など当たり前の儀式のようなものだ。これからゆっくりと慣れていけばいいさ」

「そうね・・・・・・ごめんなさい、アシュヴィン」

「お前が謝るなよ。・・・それより、先の報告のことだが」

「ええ。確か三輪山の方で叛乱軍がにわかに何か企んでいるみたいね。大きい勢力でないといいのだけれど」




皆が納得する政治をするのはなかなか難しい。政で全ての人の心を動かすことなど出来はしないと思っているが、やはり 叛乱というものは避けては通れない障害のようだ。特にまだ戦争の爪あとが各地に残っているうちは。
忍人の報告によると最近三輪山の付近で政策に不満がある郎党がいるらしく、頻繁に武器や火薬を山に運んでいるらしい。 そこで密偵に山を探らせたのだが、寂しい洞や獣道、崖などを探してみてもどうも拠点となる場所を発見できない。すると 後に近隣の村人から得た情報ではその郎党の長は鈍い赤色に輝く妖刀を持っているらしく、それで行方をくらませているの ではないかと軍会議で話題になったという。
そして今日、ついに今まで身を潜めてきた彼らが三輪山に火を放ち、山村を襲っているという報告が入ったのだ。



「葛城将軍自らが赴いてくれるとおっしゃったんです。きっと・・・いえ、絶対大丈夫」

「・・・・・・」

「大丈夫。信じて待ちましょう」



『まだ勢力は小さいし、この戦乱の後だ。物資も満足には調達できますまい。なに、ものの一刻で仕留めて参りましょう―――。』
病的に心配するを差し置いて、そう笑顔で応えて出陣していった忍人。
その誰よりも優しい言葉と笑顔はの心を何よりも満たし、幸福にする。だから、この時彼女は第六感的に感じた『危険』
を押し殺してしまったのだ。

大丈夫・・・と心の中で自分に言い聞かせていたの耳に、急に扉の開く慌ただしい音が響いた。



「何事です」

「先程出陣なされた葛城将軍・・・!三輪への山道にて突如妖刀使いの軍の奇襲にあい、応戦するも虚しく・・・将軍捕縛にございます!」

「な、に――――――ど、どういうことですっ」



山道に入った瞬間、例の叛乱軍が急に姿を現し、長であろう妖刀を持った男がその刃を振るったところ、一瞬にして炎が 取り囲み、窮地に陥った葛城軍は程なくして壊滅したという。強靭な肉体を誇る狗奴であろうと、炎には敵うはずも無い ―――なすすべも無く味方は葬られ、いよいよ将軍のみとなったところ。



「将軍は捕らえられ、奴らは『中つ国の王を差し出せば、人質を解放してやる』と――――――!」


「・・・なんと卑劣な行いだな。
 無論、王であるなら家臣の一人や二人、捨て置くのが賢明な判断というものだ、が・・・・・・」





どうする?



一番彼女の傍にいながら、一番心の傍にはいられなかったアシュヴィンは胸のうちを知っていた。投げかけられた言葉に の答えは決まっていた。



行きます――――――そう言ったの脳裏には先ほどの忍人の微笑が浮かぶ。





『まだ勢力は小さいし、この戦乱の後だ。物資も満足には調達できますまい。なに、ものの一刻で仕留めて参りましょう―――。』





一番心の傍にいたのに、急に余所余所しくなった言葉。

あそこで彼の『嘘』を見抜けていたら。

あそこで駄々をこねて、また昔のように叱ってくれたら―――。



己の浅慮を呪って、は僅かな護身兵のみを連れて深い闇の覆う三輪山への道へと向かった。





***



ぱち・・・ぱち・・・



先ほど自分の兵を皆焼き殺した炎の残り火で暖を取る大将を目に映して、忍人は毒づく。


「愚かだな。我が王をそんな条件で誘き寄せて・・・」


そんな言葉を聴いているのかいないのか、男はどかりと地に座り込み、悠々と先ほど振るっていた刀を懐紙で拭う。
するとそこにはどろりとした血がべっとりとついていて、思わず忍人の頭に血が上る。


「我が国は龍神の加護を受け、大国をも従える。その国を統べる王がこんな愚劣な戦略に引っかかるとでも思うのか」


ばさり、と懐紙が地に捨てられた。


「よく喋るな、中つ国の将軍よ。・・まるで今から起ころうとしていることに怯えているようだ」

「・・・・・・っ!」

「貴公も予感しているのであろう・・・? ・・・っく、くく」


先ほどまで冷静に振舞っていたかのようだったが、ついにその大きな口をあけて、叛逆者の狂気をその血走った目に 滲ませる。


「来るさ、愚かな王はな」

「我が王を愚弄するか、貴様・・・!」


怒りに身を捩れど、何かの蔦で胴体を腕ごと縛られているうえ地に横たえられているのでそれも儘ならない――― それどころか後ろに控えていた男に頭を思い切り蹴り飛ばされ、口からは鮮血が吐き出される。
まばらな砂利に散ったそれに目を細めながら男は言う。



「大人しくしているがいい。貴公の命も失い、王の命も失ったら―――・・・・・こちらの楽しみがなくなってしまうからな」

「う・・・・・・っ・・・ぐ・・」

「来るという確信があるのだよ。・・・私は知っているのだ」

「っ!」

「まだ中つ国の王は齢十七・・・。生まれながらにして王たる資格を持つものはいようが、王たる心まで持っているものなどいるわけがない。聞けば人情味溢れる『お優しい』お人のようであるな」




雄弁に語られる真実。

理性で無理やり殺していた真実が暴かれる。

ぎり、と口をかみ締める。

舌に塗り込められた血の錆びた匂いが乾いた脳を痺れさせる。




「普通の女子であれば地位などに縛られず、甘い蜜のような時をすごしたいと思うのが筋というもの・・・」

「・・・めろ・・・う・・・なっ・・・!」

「そしてそれは王を唯一の希望と崇める貴公も同じこと――――――だが、いくら願ったとて『優しい』王と家臣のこと。まこと、叶わぬ恋だ」

「いうな・・・黙れ・・!」

「今は夫である常世の皇子・・・・・・さぞや羨ましかったことだろうなぁ」

「や、めろ・・・・!」

「戦の時のように、再びあの女をその腕に抱きたかったであろうなあ!」

「黙れっっ!!」


大声を上げる忍人の後ろからまた蹴りが飛んできて、言葉を失う。屈辱にまみれた表情をみて、さぞや楽しそうに男は笑った。


「き・・さま・・・にっ・・・、下賤で卑劣な貴様に、俺達の記憶は穢すことは出来ない! 決して!」


それでもまた声を荒げて男の濁った目を睨みつける。しかし、男はヒラヒラと手を振って忍人の目線をのんびりと かわす。そしてまた先ほどのように新たな懐紙を取り出して剣の手入れを始めるのだった。


「むしろ感謝して欲しいものだよ。このまま永久に心を眠らせておこうと思っていた貴公らに暴露の機会を与えてやるのだからな。ハハハハハハ!」

「貴様っ・・・・・・。 ・・・!?」


男の嫌味に応酬するなか、ふと、何かが目の端に映った。それは今目の前にある禍々しいほどの炎ではない。篝火のような頼りない光。それに加えての乱れた足音。
まさか―――と忍人の表情が凍る。


「ほぅら・・・お出ましのようだぞ」


「葛城将軍! 無事ですか!」


「な・・・っ・・。何故ここに来た・・っ、のです!?」


そう叫んだ瞬間、葦の枷の髪を勢い良く掴まれ、引き上げられ膝立ちになった。目に映ったは慌てて出てきたの であろう、何も持たずに王宮にいた―――半刻ほど前の姿と同じ格好をしていて。その目は焦りを滲ませているものの、 透き通っていて―――なにか決心をしたような色を浮かばせている。

そこで忍人は察した。

先の戦のなかでも何回かこういうことは起こった。その時も彼女は何の策もなしに出陣することはなく、必ず応戦して 窮地を脱していた。特に彼女の武器は天鹿児弓―――その神通力か分からないが、彼女が呼べばその弓は具現化して 現れる。今は傍に少数の兵しかいないが、恐らく周囲には風早やアシュヴィン、そして那岐やサザキ達が攻め入る機会 をうかがっているのだろう。
もしかしたら―――と、忍人が淡い期待を抱いた時だった。



「私と、ここにいる四人の兵士―――彼ら以外に仲間は連れてきていません。あなたの要求するとおり」

「ほお。ですが大国に歯向かう我々も馬鹿ではない。それゆえの覚悟は出来ておりますぞ。かような話・・・にわかには信じがたい事実ですな。こちらを少数だと思って舐めてもらっては困る―――」



男はぬらり、と先ほどの妖刀を腰から抜き、気を込める―――どす黒く赤い光が何尺あるか分からない大剣に絡みつき、 周囲の空気は何か重いものが支配してゆく。同時に森はさざめき、今まで眠っていた鳥たちがばさばさと羽音を立てて 別の止まり木へ飛び立つ。
その音が血の匂い立ち込める虚空に不気味に響いた。

早く、武器をこの男が振るう前に、早く仕留めろ―――先ほどこの刀の洗礼を受けた忍人はそう捕らわれながら焦るが、 風早たちは一体なにをしているのか中々姿を現さない。


「我が夫、アシュヴィンには風早将軍たちを連れて向かうと言って出てきましたが、ここにいる兵以外にもう兵はいません」

「・・・ほお、まだそのような惑い事を仰られますかな。―――では」


男がなにやらその大剣を横に薙ぎ、裂けた時空の狭間からは今まで姿を隠していたであろうものが、忍人の目の前に現れ――― それを見て、その場にいた中つ国の兵は息を飲んだ。





そこにあったのは―――ささやかな小高い丘に、緋毛氈。





「周囲に兵が潜んでいたとしても出撃が早いか遅いかの違い。・・・ならば、その瞬間を待ったとて意味のないこと。中つ国の王よ。・・・もし王の心に嘘がないのならば、こちらへ来い。この―――断頭台に。質素で申し訳ないが、せめて王の一族らしく葬ってやろう」







の足が、迷うことなく一歩、進む。


一歩、一歩・・・進む毎に忍人の心の中では出撃の合図を早く、早く、と声が張り上がる。


しかし、もう大分歩いたというのに一向に味方が現れる気配はない。
一体どうしたというのだろう、ここにいる叛乱軍の兵は先ほどから大きな動きもしていないし、途中何かに襲われたとも 考えにくい。それなのに、一体、何故―――。


そしてもう一度彼女の瞳を見て、今度こそ本当に察するのだった。


同時に、冷や汗が額から流れ落ちる―――。


「まさか・・・本当に・・・・・・?」

「・・・・・・・・・」


は何も応えない。

何も応えることなく、忍人に視線を向けることなく、怯えることなく、迷い無く―――ごつごつとした不ぞろいな階段を上って、断頭台へ向かってゆく。







  な  ぜ  ――――――――― ・ ・ ・ 。








たとえ相手が妖刀を持っているとはいえ、風早やアシュヴィンたち中つ国の大軍にかかればこの程度の軍は造作もない ことなのに。
それなのに、何故・・・。





本当に誰も連れていないというのか。







そう気付いた瞬間、忍人は無我夢中で叫んでいた。





「お止め下さい、陛下! 今すぐ、天鹿児弓を、手に! ・・・陛下、陛下っ!!」





炎が、この無限とも思える常闇にめらめらと、不気味に揺らめく。



「潔い判断だな。 中つ国の王よ」



流石、龍神の加護を受けると謳われる賢王なだけはあるか――――――下劣で豪快な笑い声が緊縛したこの空間にやけに 響く。


己を戒める葦の蔦を振り払おうとするが、堅く縛ってある。そうこう抵抗しているうちに蔦を持っていた兵にうしろから ど突かれ、抵抗も出来ない背はそのままの勢いで地面に叩きつけられた。

頬に大地が当たる。

堅くて、冷たくて――――――痛い。


「お止め下さい、どうかっ・・・陛下!!」


必死に喉を鳴らすも、また再び後ろにいた兵に後ろ首を踏みつけられ、咳き込んでしまう。

こんなことをしている場合ではないのに。

早く、彼女を止めないといけないのに。


「私の・・・家臣の身などお捨て下さい! 貴女は・・・貴女はこの国の王なんだっ・・・!」


喉仏が地に擦り付けられて咽ぶ反射を理性でねじ込めて、自分に近寄ってくる彼女を止めねばならぬのに。



なのに、ああ。



「この妖刀の糧にしては十分すぎる相手だったな。 貴公らの王はあまりにも『人』すぎたのだ」


なによりも守らねばならぬ人が、断頭台に上がってしまう。


「お止め下さい・・・っ!!」


土で汚れ、刃で傷つきすぎた顔をやっとのことで持ち上げて彼女に叫ぶ―――。

ようやくはっきりと目に映った彼女は、今すぐにでも殺されてしまうとわかっているのに・・・笑っていて。












「生きて――――――おしひとさん」














「・・・っめろ・・・・・・・っ!


 ・・・・・・やめろ・・・! やめろぉっ!! 


 っーーーーーーーーーーーーーー!!!」

















その後、暗く深い絶望の後―――・・・。



怒りと悲しみに狂い打ちひしがれる忍人はその場に捨て置かれ、数刻後にやってきたアシュヴィン軍に助けられた。
だが、時すでに遅く―――進軍した妖刀使いの軍勢は橿原宮に攻め入り、そのあやかしの力を縦横無尽にふるい、宮は再び 悪魔の炎に陥落する・・・。




***



「後に俺は気付きました。橿原が黒炎に焼かれるそのなかで、何故はあの時抵抗をして軍勢を率いていかず、無謀にも一人で立ち向かっていったのか・・・」

「・・・・・・」


「数千年前のは、そのまた数千年前―――すなわち前の伝承のは、そのまた前のの伝承を知っていたんですよ。その前の伝承では、君が―――忍人、君があの場で死んでいたんだ」


自分の前世とも見まごう、無限循環の世界。自身をこの世界を管理する龍神の使いと話す風早の話もそうだが、その話・・・ 過去の現実という名の『伝承』と彼が呼ぶ話は到底信じられたものではないが、次々と話が語られる度にその当時の記憶が 五感と共に鮮明に蘇ってきて、迸る涙と無念と怒りと悲しみ・・・沢山の感情がそれらは事実だと知らしめる。

どういうことだ、と、何度嘔吐したか知れぬ摺れた喉からしゃがれた声をひねり出してその先を求める。
どんなに苦しくても、辛くても、知らねばならないと思った。


「前の前の伝承では、は俺達を連れていったんだ。奇襲は成功し、俺達の軍にいた柊は君を解放した。
 でも―――・・・」

「・・・・・・」

「助けに出て行った柊ごと・・・妖刀の餌食になってしまったんだよ。・・今にでも相手の軍が壊滅、というところで。柊と・・・何より葛城忍人という心の要を失った彼女は錯乱し・・・」

「もういい」

「忍人・・・・・」

「もう、いい・・・。・・・れ、が、・・・俺が――――――」
















弱かった、というだけなのだから――――――――・・・。

















***











ああ、死ねるものなら、死んでみたいものだ。










それほど今の自分の心は干上がり、ぽっかりと大きな穴が出来てしまっている。




「これより、婚礼の儀を執り行います―――・・・」




風早の言うことが本当なのだとしたら・・・いや、本当なのだから、この後の運命も決まっているのだろう。今回の伝承の が以前の伝承を知っているかなど分からないが、間違いなく彼女はあの大いなる選択の場面で彼女自身を捨てるか、 捨てずに抗えば、自分が死に絶え、この国はいずれにせよ均衡を失い再び戦乱の世が訪れる。


忍人が死ぬか、それともが死ぬか。
だが、いずれにせよこの守るべき国は滅びてしまう。


「この儀を機に、これからこの中つ国はもっと良い方向へ進んでくれるでしょう。いまだこの地には大きな傷痕が残っていますが、それも何れは恵に変わります。なぜなら、このように、かつての敵国であった常世の国を和平を結び、そして今、こうして手を取りあうことができるのですから」


ああ、こうして高台で話している彼女は、一体いくつの秘め事を心の奥底に隠しているのだろう。
その朗らかで美しい微笑に、一体どれだけの哀しい架を負っているのだろう。
今にでも、心はここではないどこかへ行ってしまいたいだろうに。


「・・・・・・っ・・」


ふとまた何か気持ちの悪いものが胸につかえて、周囲の兵に警備を任せて、忍人は婚礼祭場を抜け出すのだった。














少し離れたところで、わぁわぁと一際大きな歓声と拍手の音が沸きあがった。恐らく皇子の詔も終わり、誓約の接吻を 交わしたのであろう。



そんな賑やかな音を掻き消すかのように、忍人は近くにあった井戸の水を頭から被った。


心は互いに相手の内にあろうが、身分自体が違う。一応高等な族に属してはいるものの、それも皇子に比べてみればまるで 塵のようなものだ。これからも俺はこの気持ちを押し殺して、彼女もまた押し殺して生きなければならない―――だが そんなのは当たり前のこと。もともと自分はただ彼女を護り、この世界の盾になるべくして生まれ、戦いの中にしか己の 価値を見出せない身。そんな血に汚れすぎた自分が、なによりも純白な彼女を想うこと自体が可笑しいことなのだ。
・・・だが・・・このまま、押し殺したとて・・・・・・・・・。


晩秋の朝に、己の熱を奪ったひいやりとする感覚が、心の中の靄を振り払ってくれるようで・・・もう一度ばしゃばしゃと 被る。もう一度・・・そう思って汲んだ水をふと見れば、水滴に紛れて己の頬を伝う体温のある水滴が、一筋の熱い道を つくっては水鏡に映った自分の顔を歪ませた。
茹だる熱情があるくせして、なんて凍りきった顔をしているんだ。





ああ、なんて面をしているんだ。






「・・・・・・・・・・・・・・・・」










確か・・・確か、妖刀使いが現れるとの報告が入るのは婚礼の儀から程なくしてだったはずだ。




過去の伝承を頼りに、忍人は何かを決心したかのようにその場を後にした。
















「時つなぎ」前編 了