第二十話「紡ぎだす」




<「再臨詔」第二十話「紡ぎだす」>



こうして常世と中つ国の長い戦は休戦を迎えた。


過去の記憶がいかなるものでも、その記憶のなかでアシュヴィンという男はいつだっての力になってくれた。
今までの伝承が伝播しなかった今までであったら恐らく、中つ国の家臣は彼の出獄を許さなかっただろうし、また、自身も許さな
かっただろうが、記憶が信頼という絆を結んだ。

から常世の軍を率いることを再び許された彼は、同じように神邑に捕らわれていた捕虜を解放し、自軍として持つことを許された。
無論、あの七夕での大虐殺以来めっきり人員は不足していたが。それでも各地で異常気象や大地崩落が始まったことを目にして仰天
した兵士たちはこぞって彼、そして彼の兄を頼って遠方から駆けつけてくれていた。


―――彼らの父である皇はいまだ、行方不明である。


無理も無い。
記憶を辿れば、彼こそがあの黒い龍の依り代となっているのだから。



だが、悲観ばかりはしていられないとは思う。悲観にくれたって、後悔の念に駆られたって、自責したって、いくらしても
し切れないし、口で雄弁に謝罪の言葉を口にしようと、行動で示さなければならないから。それが今まで散々今までわがままに世界中
の人々を巻き込んでしまったことへの償いだから。





「はい」

「準備が整ったようです」



風早が少々重い面持ちでこちらを見てくる。それも無理は無い。
今から自分達が会う人物は中つ国の重臣だとはいえ、強かな―――あの狭井君なのだから。
かつての伝承が繋がった今なら分かる。この胸のうちに宿る確かな怨念が。今まで巡ってきた数々の伝承で、と忍人が引き離された
のは敵の手であるものがほとんどであったが・・・全てではない。時には何よりも国を憂う彼女の策略によって―――無理やり仲を
引き裂かれたり、王たる資格を忍人が故に無くしたに見切りをつけ、秘密裏に粛清の矢を放ったのも彼女だ。そもそも「はじまりの
伝承」すなわち既定伝承が終焉を迎えぬまま繰り返されたあの伝承で、時空の狭間へと逃げるに追手を差し向け窮地に陥らせた
のは彼女だ。


あともう少し、というところで、幾度彼女によって片方の命が途切れたことか。
それだけならまだしも、彼女はあんなにも自分に傅いておきながら、心の奥底では「龍神の加護を一度得られてしまえば王は
なくとも構わない」という概念でもって接していたという事実。


それを思い返せば、いくら豊葦原の未来を憂いての行動だったとしても、やはり割り切れない部分はある。
神に抗うと、大仰なことを決意したからこそ、そして本当の意味で世界が終わってしまうとなった今、大切なのは争うことではないと
確かに思ってはいる。が、やはり、そして忍人の心境は複雑なものだった。


。 ・・・今日はやっぱり、会いに行くのをやめますか。 別に、無理をしなくても―――」


そのことを悟ったのであろう。心配そうな声音で風早は彼女を労わる。
が、は静かに首を振った。
世界は最早終焉の大海へと飲み込まれつつある。今度こそ神は待ってくれない。それに、実は好機でもあるのだ。
いままで過去の伝承を、と忍人、二人生きているうちに一気に思い出すことはなかった。今までの伝承で何故そのようなことが
起きなかったのはいまだ不明であるが、それでも今までとは全く違った伝承を歩んでいることだけは分かった。
これが最後の伝承になると、風早は言った。なら、せめて最後にわだかまりを互いに抱えたまま消えたくは無いと願ったのだ。
もっとも―――それは記憶の続く世界が無い未来、すなわち世界すらない世界が待っているのなら、単なる自己満足にしかならない
のだが。

背後に控えている仲間を見て、そして何よりも強く、忍人と目を合わせて。
はゆっくりと扉を押した。











ふんわりと鼻腔をくすぐる格調高い牛頭栴檀の香り。
いつもの応接間とは違って小さな隠れ階段を下った先にあったそこ―――一時的な防空壕であるそこは、大きな岩を刳り貫いて創られていて
そこはまるで洞窟のような場所だった。今は夏真っ盛りだというのに自然の冷房がかかっていて、むしろひんやりとした空気で火照った体
を静めてくれる。
低い天井からは紫色の布が垂れ下がっており、奥には鏡、水晶などが檜棚に祭られていた。
そして、こじんまりとした部屋に膝を付いて待っていたのは、あの女傑。


「ようこそ・・・ようこそお越しくださいました。 中つ国・・・いえ、この大地の王、様・・・・・・」


恭しく頭を下げる様も、もう幾度となく見て来た。そのたびにこの女傑に心を許し、信じてきたのに。
彼女が仕えていたのはではなく、いつだって中つ国の王だった。



「・・・私が過去に犯した・・・いえ、成した事に関しましては・・・・・・」



重い口を開き、一瞬自らが行ってきた所業を罪と称し卑下しようかと思った狭井君だが、言い直した。自分はあくまでもその時に最良と
思った選択をしてきただけであって、わざとこの国を滅ぼそうとか、を貶めてやろうとか思ったことはひと時たりともなかった。
全てはこの国の、この世界の未来を憂いての結果だから。
だが、幼い彼女にしてみれば自分を恨む気持ちは当然だろう。憂いての結果などと豪語しようが、自分に言い聞かせるための独りよがり
の大儀にしかすぎない。

だから、その他見からの罰を、受ける日が来たのだと思った。
世界に記憶が戻った今、自分の考え、策謀は明るみに出て、最早逃げる場所もない。今日こうして彼女が出向いたのもおそらく、
いや絶対、自分を呪い、粛清を与えに来たのだろう。

だからこうして静かな、寂しい場所で彼女を迎えた。



私は、己の成したことに後悔はしていません―――。



そう、口にしようとしたときだった。



「いいんです」


「・・・・・・なんと?」


「だから、いいんです」



ふわり、とは膝を折って、狭井君と同じ目線に合わせた。驚きに思わず顔を上げた狭井君との澄んだ蒼がかち合う。



「貴方は・・・狭井君は、何よりもこの国の未来を案じた。
 自分の運命に縛られて、ただ『逃げ出す』という道しかとるしかなかった
 私を、貴方は叱咤してくれた。 ・・・私が、甘かったばかりに。 弱かったばかりに、
 貴方に苦しい判断をさせてしまった・・・。
 だから、ごめんなさい」

「二ノ姫・・・」

「私が頼りない姫、王だったから。 それに」



はおもむろに地面についているその皺の折りたたまれた手を取った。
彼女の手は、冷たかった。



「悔いのない選択をしたのだから、私はその狭井君の尊い選択を責めることも
 詰ることも出来ないし、したくない」



だから―――これからの私を見ていてほしい。
何も守れなかった。王という立場にあるにも関わらず、運命から逃げ出すことしか
出来なかった私を叱咤し、あるべき王になれるよう、
再び導いて欲しい。


「姫・・・」


苦しい判断はここにきて、時空をこえてようやく身を結んだというのか。
信じられない事実を目の当たりにしてなのか、それともこの少女の真撃な、しかし何よりも柔和な瞳の色を観てなのか。
既に老いきった身体の内から熱いなにかが迸るのを確かに感じた。それは最早、何十年という歳月も前に置き忘れていった―――いや。
自らが必要あらずと思って切り捨てた感情。鮮やかなまでの魅了。
だが、すぐにその魅惑に捕らわれないのは、流石長年生きてきただけはあるのか。


「ですが、姫」


「はい」


「姫の望む世界とはいかがなものでしょう。 ・・・この世界は崩落を始めていると
 風早殿から伺いました。 かような望みも薄き大地に、一体何を望み、そして具体的に
 いかがされようとお考えですか」


これはなかなかに難しい質問だ、と狭井君は思った。紡がれてきた伝承の終わりという局面を迎える今、希望のある言葉を述べても
それは白々しくしか聞こえない。だからといって悲観にくれた言葉を述べても、それはそれでいけない。更に具体的な対策まで
言及するとは。なるほど、だからこそあの友に食えないと揶揄されるのだな、と心で軽く哂いながらそれでも、との双眸を
きりりと見据えた。


「また、こう言ったら姫失格、かな」

「・・・・・・」

「私、欲張りなんです。 だから、世界も守りたいし、大切な人も守りたい。
 世界はやがて終わる、と黒龍には言われましたけど、でも、勝手に人間を作り出して
 おいて思い道理にならなかったら壊す、なんて勝手すぎる。 
 天から見下ろしているだけの神様に、この地面で頑張って生きている人の命の息吹が、
 分かりますか?」

「・・・・・・」

「私たちは記憶を持ってしまった。 そして感情も。 その人の尊い自我を、神様の勝手な
 都合で終わらされてしまったら?
 でも、何故その二つを神様は与えたんだろうって思うと・・・神様は今回の伝承で、本当の意味で
 私たちを試しているんだと思う」

「姫は、あの忌々しい神がまるで我々人間を愛しているかのよう仰いますね」

「はい」


はっきりと答える少女の目には、迷いの曇りは一切伺えない。
この少女を、一体誰が以前と同じ少女と思えるだろう。


それほどの―――――― たったひとりの人間にたったひとつの命を捧げる覚悟・・・・・・。



これほど彼との運命に破れてきて、今回が最後の伝承だというのにその願いを捨てることすら念頭にない。



・・・いや、その考えすら捨てたからこそ、得られたこの輝きなのか。



「正直、まだ具体的に『こうすればあの禍津日神を倒せる』というのは分からない。
 ・・・でも、過去の記憶でいがみ合っていたり、憎しみあっている場合ではないということだけは分かります。
 だから、今日ここにこうしてきて、狭井君のお力を貸していただけないか、頼みにきたんですから」



数多の兵の目の前で具体論を言わない姫が何処にいる。
嘘でも上に立つ立場の人間であれば希望のあることを言うものだ―――。


全く、この姫は―――。



「・・・・・・分かりました。 中つ国が家臣狭井君、今よりを未来の王と奉り、そのお力になることを誓いましょう」



初老の瞳に映った光は、久しぶりの希望の色をはきと滲ませていた。





***



は緊張のひと時のあと、休むまもなく天鳥船を駆けずり回っていた。
それというのも、この伝承の伝播によって記憶に混乱を生じていない者がいないかどうかを巡回するためだ。
この船にはあの虐殺の夜に傷を負って歩けなくなってしまった常世の兵も乗っている。動ける兵は中つ国、そして常世問わず
自力で橿原宮を目指してもらっていた。
風早曰く、穢れの多かった地方から崩落は始まるらしい。高千穂が落ち、今日明日には筑紫も落ちてしまうだろう。その点
橿原は代々龍神の加護が及んでいることもあり、この大地では最も清浄な土地だという。だから、天鳥船も残党兵も一路橿原を
目指していたのだ。
時間はあまり残されていない。狭井君ではないが、橿原に到着するまでになにか具体的な対策を練っておかなければならなかった。

しかし、この敵味方ごった返した船のなかでは先の神邑の牢獄のような事件もあるだろう。
戦争とはいえ、感情と記憶を持った人と人が殺しあうのだ。理由なき殺人が国という大儀のためであろうが、やはり理不尽な
大儀によって大切な者を奪われた哀しみは癒えることは無い。
一応自軍の将に禁止されているとはいえ、自分の子の命を無残にも奪った相手を前に、取り乱さない親がいるだろうか。


回廊、個室、楼台、堅庭、書庫、磐座、廊下・・・隅々まで観て回っては、その諍いに介入する。忍人が見たらすぐにでも共を
つけろと窘められるだろうが、今はその共の姿も見当たらない。皆、考えることは同じだった。

その諍いは常世の兵が中つ国の兵に暴力を振るっていたこともあったが、逆もまた然りで。
昨日まであれだけ快濶に笑っていた兵が、まるで別人のように鬼人のような面をしてその哀しみを拳に変えている。
ここにはろくに自分の身体を支えることも出来ない兵や民が乗っているのにもかかわらず、彼らは肉体的な痛みの神経を
無視してまで、相手にぶつかっている。


でも、その哀しみを、その押さえきれない憤りをつくったのは、・・・。


だから全て自分が受け止めるべき罰なのだと思った。
そしてどんなに止められなさそうな争いにも介入する。
どんなに辛い眼差しを、差別を、恨みを受けようと。


「何でいつも、俺の愛娘は、お前に殺されなきゃなんねえんだ・・・? あの子は何も知らない。
 まだ歩くことも知らなかった・・・。
 お前に中途半端に刺されて死ぬに死ねずに、痛い痛い言いながら這いずり回って俺に泣きついて
 死んだんだよ・・・!
 ・・・だからよぉ、今ここで同じ目ぇ遭わせて殺してやるよ!!」



ふと、静かな物置でまたなにやらもめている荒々しい音がの足を止めた。
ばっと身体を反転させて、暗い部屋に駆け込むと、やはりそこでも二人の男がもみあっていた。中年の常世の兵は、
中つ国の若い少年兵を蹴り倒して、その上に馬乗りになり顔面に堅い拳を容赦なく浴びせていた。




「何をしているの!? やめて・・・!」

「うるせぇっ!! 黙ってろ!!」



見つかった驚きに一瞬気の緩んだ憤る兵士の太い腕をなんとか押さえ込み、強い眼差しで瞳を睨む。しかし、この男もまた、激昂の
激しい赤に瞳が濁っていた。



「あなたも、誰かの大切な人を殺めた!」

「ああそれがどうした、それが戦ってやつだろ!」

「そうよ、戦争をしてたの!! だから、あなたも覚悟してた筈でしょう!!」

「っ!」

「恨むなら、私を恨んで! この世界じゃ、誰も彼も戦争での犠牲者だよ・・・彼も、あなたも・・・!」

「・・・・・・!」

「誰かを殺めて、誰かの憎しみを買って、その憎しみを血で洗い流して・・・っ!
 こんなんじゃ、皆おかしくなってしまう。
 龍が言うように本当に人は、滅びるしかなくなる」

「・・・・・・」


そう言って、はその場に頼りなくへたり込んだ。もうこんな哀しい思いはさせてはいけない。もう誰かが誰かを理不尽な理由で
奪って憎しみあっていてはいけない・・・そう、心でなんども呟いて、彼の天秤に伝われと願った。
すると段々と男の荒い息が収まってきて、堅くなっていた腕が柔らさを取り戻してきた。
よかった、これでまたひとつの哀しみを止めることが出来た―――



刹那。



「なら手前ェの命で償えよ!!」


「っ!!」


「――――――っ!!」





腕を無理やり振り解かれてぐらついた視界の端にきらりと光る何かが映る。
それが何だか分かったときはもう遅かった。

















******************


はい〜約5月ぶりの更新が全然甘くなくてすっみませんでした!!(のっけから謝罪)


でも、このシーンは個人的に書いておきたかったシーンなんです。
は自分の弱さを知って、それを受け入れようと努力する。
その対比に、忍人の弱さは・・・?というところが今後の、二章のおそらくメインテーマ
(章タイトルにもなっていますが)になると思います。


「今までの既定伝承が伝播する」という話しを考え付いたときに、
もし、今まで自分が輪廻転生していて、過去の自分の大切な人を理不尽に奪った相手
と今世でめぐり合ったら?

ここここれは泥沼フラグキタァァァ!!!

と思いまして。笑


でも、もし自分がみたいな立場だったら?
自分が好きな人と添い遂げられないのを理由に、何回もその輪廻を繰り返させていたら?
その結果、その憎しみと、世界の終末という事実を突きつけられたら・・・?


そう思うと、やはり受け止めるべきものは受け止めるべきだと思うんですよね。
起こしてしまった事象は、もう後悔のないように起こした、その時の自分がベストだと
思ったことをしているのだから、もう仕方ないと思うんです。
ただ、大切なのはその記憶を忘れないことと、それからじゃあ自分はそれを埋め合わせする
ためにどうすればいいのか?を考えて、実際に行動に移すべきものだとおもうんですよね。

う〜ん。難しいこと言ってるなぁ自分。


そして久々に勢いで書いたので途中キャラの性格が違うかも・・・しれ・・・ませ・・・ひいいい!
あっ、石投げないで!


しかもなんか最後自分が思っていたより大事になってしまいました。
えええ、ごめんなさいなんか久々に書いたら00の影響かわからんですがなにか戦争の虚しさ
が溢れ出てきました。
どうでもいいですが、のセリフ「覚悟してた筈でしょう!?」が気にいってます。
というか言わせたかった・・・!←




さて、次回はどうなってしまうのか。
お楽しみに〜^^






9:29 2009/08/02