第一話「魂無き世界で」
「・・・じゃあ、『やくそく』だよ?」
「ああ、絶対に」
「ふふ・・・ありがとう・・・」
桜が、降る、降る。
幼い時は、無情にも強く、儚い記憶になる。
あの時、固く固く誓った小指の交わりのぬくもりを
何故、人は忘却してしまうのだろうか。
「祈祷を捧げよ。この豊葦原のためにただ、永久(とこしえ)に・・・」
覚えているのは、ただ・・・
高台から臨むむせ返るような桜吹雪と
下手な祈祷歌――――。
<「再臨詔」第一話「魂無き世界で」>
世は、希望に満ち溢れた。
人の国である豊葦原を神の手から取り返した中つ国の龍神の神子、によって、世界は悉く恵を得、枯れ果て荒れ果てた大地は 本来の生命の姿を青々しく喜び歌っている。
鳥はのびのびと蒼天を飛び回り、陽光は生きとし生きるものに暖かく降り注ぎ、生命力を与える。
昨日降った雨の名残雫はきらきらと輝きながら、花々咲き誇る大地へ落ちてゆく。
人々は朝稽古に励み、ようやく作られた質素だが、栄養価のある食事を食し、ひと時のまどろみに瞼を閉じる。見る夢は友や恋人との 楽しい記憶ばかり。いっそのこと、夢の世界に住もうかと思う衝動に駆られるが、現実のために瞼を開ける。
だって、そこには大切な誰かが待っている、争いのない平和で美しい世界が広がっているのだから。
この世は、喩うならそう、「幸福」そのものだった。
「―――今日も、朝餉を戴かないのですか、陛下」
「・・・風早・・・」
陽光差し込む、大地の王が居ますべき王の部屋に、二人。
一人は王たる者、。もう一人はの従者にして信頼の徒である風早という青年。
風早は細やかな金の意匠が設(しつら)えている盆や茶碗を目に映しながらの隣に座る。
「この装飾なんか、立派じゃないですか。季節に合わせて・・・うん、桜か。桜の木が彫られていて、豪華でもなく、だからといって気品を損なわない出で立ち・・・ほら、見てください」
声高に言いながら、ずい、とまずは漆の椀の蓋を開けての口元へ箸を運ぶ。
「嫌でも、食べないと身体に毒ですよ。ほら、が好きな玉子焼きです。食べさせてあげますから、口を開けて」
「・・・」
「・・・」
一向に口を開ける気配が無い。
風早は箸と玉子焼きを皿に一旦戻し、の顔色を伺う。
「もう、丸二日も水すら口に付けていないじゃないですか。少しでも食べないと・・・王が倒れれば、幾万人という人間が悲しむ。はこの豊葦原の平和の象徴なんです。そのために、生きなければならないんです」
「・・・」
「この国のために、・・・・・・・・・」
あの日から、もうずっとこの調子だ。
百合の花のような可憐な少女の顔は俯き、蒼い瞳は闇に濁り光を宿すことはなく、ただただ人形のように一言、二言しか喋らない。
そこで現在の代わりに成り代わって国政を担っている狭井君は仕方なく絶対の信頼を得ている風早に鼓吹(くすい)役を命じ たのであった。
しかし、これでは風早もお手上げだ。もう少しは心を開いてくれると思っていたのだが。
「・・・この国のために・・・生きてください。御願いします―――」
応答は無く、暫くの間の後また風早は箸を口元へ運ぶ。今度は渡来菓子を添えて。
「甘いものはいかがですか。糖分はすぐに栄養になるし、消化しやすい。身体にもいいですよ」
「・・・」
「ほら、口を―――」
「・・・どうし・・・て・・」
「・・・!」
急に口を開いて物言いを始めたに、風早は驚き手が止まる。
最早これすらも見えていないのだろうか。甘味が目の前にある状態のまま、は風早に問う。
「死ななきゃ・・・いけなかった・・・の」
「・・・・・・」
「ど・・・して・・・。ねぇ、どうして」
「・・・・・・」
抑揚の無い単調な声で尋ねられた事実は風早にとっても非常に胸を抉るものだった。
そう、は―――未だにあの者の死が理解できていない。
「彼は―――・・・葛城忍人は、国の王となるを護って死んだ。武人にとっては最高の・・・名誉の死なんですよ。きっと、忍人だって―――」
「・・・私・・・の・・せい。私・・・産まれなければ、忍人さんは―――」
「!」
涙を流すことなく悲観にくれ、恐ろしいことを口にするをとっさに抱きとめて、風早は諭す。
「そんなことを・・・言っては駄目です!忍人が・・・それで忍人が救われるとでも思ってるんですか」
「・・・・・・」
「覚えてますか・・・。出雲での戦の時。『祈れば彼らが黄泉返るわけじゃない。悲しみに沈んでも、あなたも同じように命を落とすだけだ』という俺の言葉―――」
「・・・・・・」
涙など出ないのに、肩は振るえ、咽ぶ声。
なんてか細い肩なのだろう。
おそらく、全て、彼女は分かっているのだろう。自分がしなければならないこと、彼の死、これからの行く末を。
ただ、感情の流れに身体がついてゆけずに神経が停止してしまっている状態なのだ。
「分かっている・・・んですね。・・・なら、ゆっくりでいい。ゆっくり、受け入れて」
「・・・」
「ゆっくり、ね。・・・まずは、今日、しっかりしてください」
そう、今日は大切な日だった。
を護って死んだ名誉の将軍、葛城忍人の葬儀が執り行われるのだった。
今日が最後のお別れの日なのだから、しっかりしないと、と彼は付け加えて、また甘味を口元へ運ぶ。
すると観念したのかようやく口を開け、餡子を舌へ運んだ。
よく濾されている滑らかな食感も今はざらつき絡みつき、甘いはずの甘味も、死んでみえた。
****
あの後、はおぼろげな足取りで葬儀が執り行われる広間へやってきた。
ぼんやりと見れば、下級武人だけでなく采女や官吏たちまでもが一緒になって菊の花を飾っていたり、装飾品を設え用意をしていた。
がらん、と広い空間。しかし、まだ棺は―――彼は、まだそこにはいない。殯(もがり)して冷所に安置してあるのだ。
蘇生を願いつつも死を確実なものにするために――二日間は安置しておくようにとの狭井君の達しだった。
風早の言っていたことは全て、分かっている。まずは―――名誉の戦死をした忍人に恥じないように、王として気丈に振る舞い、
笑顔で別れを告げ、葬儀を成功させなければ。
「・・・・・・そう、だ・・・」
しかし、次の瞬間、ふと何かを思いついたのか、はふらふらとその場を離れた。
まだ―――
まだ―――、彼に会える。
・・・ぴしゃん、ぴしゃ・・・ん・・・
地下のため備えられている灯火は頼りなく、また冬と間違えるくらいの寒さが骨から染みるようだ。洞窟の中は地上よりしみこんだ 雨水が冷やされては固い地面に落ちて寂しい落下音を無数に響かせていた。
棺が安置されている場所は、この雫音以外無音の空間に敷かれている石階段を下りきった所にある。
途中、苔に足をとられそうになり、着物が茶に汚れるが、そんなことは関係なかった。
ただただ、全体力を使って這ってでも、彼に会いたかった。
「――――――忍・・・人・・さん・・・」
下りきったその先、一層薄暗くなった寂しく凍えた場所に、彼はいた。
豪華に装飾が設えられた檜の棺。見た瞬間から膝からガクリと力なく座りこみ、力などとうに入らなくなった手でそっと蓋を開ければ ―――安らかな表情をして「眠りこくった」愛しい彼が、いた。
「こんなに・・・寂しい場所で・・・」
祈祷師が掛けた呪術のせいだろうか。死後二日たっていても損傷は全く無く、ただ本当に眠っているだけのようにみえる。
しかし、頬に触れれば容赦なく温度が彼の魂はここにはないということを知らせる。
白衣装をまとってはいるが、その下にはおそらく目を伏せずにはいられないほどの無数の深傷が刻まれているのだろう。
「おし、ひと・・・さん――――――!」
せめて頭を抱きかかえて、はようやく涙を流す。瞳から迸る液体は、自分のものとは思えぬほど熱く、水分を摂取していない のにも関わらず止め処なく溢れ出た。
しゃくりあげ、咳き込み、時折嗚咽しながら声を上げて泣いた。深緑の髪と黄金の髪が互いに乱れるまでかき抱き、何度も何度も 頬を撫でた。
生き返ってほしい、けれど、生き返るはずはない―――――。
あと数刻後には、彼に笑って最後の別れを告げなければならないのに。
そしてその後は、死を忘れてこの国のために、生きなければならない。
この、国―――豊葦原の、ために。
生きなければ、ならない。
「・・・うぅ・・・ぅっ・・あぁぁぁぁ・・・・!!」
心が、まるで爆破されたかのように散り散りだ。
光に満ち溢れている外の世界など、にとってみれば時が止まった牢獄そのものだ。
本当に、護りたかったのは、何だ。
本当に、見たかったのは、何だ。
本当に、この手に手にしたかったものは―――?
そして、それらを奪ったものは――――――・・・
「・・・っ」
暫く泣いて、もうそろそろ葬儀の時間が迫ろうとしていた。は最後に名残惜しく頬をひと撫ですると、また元来た石階段を
来たときよりも更におぼつかない足取りで一段一段上って行く。
「・・・我が君―――陛下・・・」
「・・・・・・?」
出口も間近となった階段の途中で、は聞き覚えのある声を目の前の光から聞いた。霞んだ目をよく凝らしてみれば、人影がある。
ただ、今は逆光による影によって誰だかはわからないが。
はたどたどしく、その影を確かめようと階段をのぼる―――と、そこには―――。
「お久しぶりにお目にかかります、陛下」
出口付近の少し開けた石間に、かつての仲間だった柊が佇んでいた。確か昨日からどこかへ姿を消していたのに、急にこんなに辺鄙な 場所に来て、どうしたのだろう。もしかして、彼も忍人に最後の別れを告げにきたのだろうか。考えてみれば同門関係にある二人だし、 いくら常日頃喧嘩していたとしても、そこはやはり大切な仲間には代わりの無いことなのだろう。
「・・・忍人さんなら、この先だよ。・・・早く、いってあげてね」
ふふ、とやつれた笑みを見せて、彼の横を通り過ぎる。決別は済ませたのだから早く葬儀場へ戻って官吏たちと打ち合わせをせねば。
名残惜しいが、仕方のないこと、なのだから。
―――と、その時だった。
「―――『時空越え』という現象・・・陛下はお耳に入れたことは、ございますでしょうか」
「・・・?」
「時空を越えること・・・、そう、我が君と初めて会った時―――私は貴女がおわします異世界へとどのようにして旅立ったとお思いですか?」
「・・・!」
びくり、との背が震える。
胸が高鳴る。―――いけない、やっと今、別離の決意が出来たというのに。
「時空を越える道は、確かにこの豊葦原にあります。―――これを」
どくん どくん―――。
揺らぐ。決意が、揺らいでしまう。
また、死反を望んだような望みのない希望を抱いてしまう―――。
柊は未だ背を向けているにある古びた竹簡を差し出す。
「ここにその道がある場所が記されています。その道を辿れば―――あの異世界の日々やその過去に戻ることができる。
・・・我が君、御願い・・・します」
「・・・・・・っ」
「我が同胞を、お助け下さい」
ふわりと、衣擦れの音。きっと後ろでは柊が膝を付いて懇願しているのだろう。しかし、の震える手は宙を彷徨う。
どうすれば良いのか分からない。この国の為に死がやがて訪れるまで生きなければならないのは確かで、だが空虚と絶望に ―――心の中では、強い強い動揺と反発が渦巻いて決意を鈍らせる。
淡い期待に、胸が躍る。
「貴女も思った筈です。―――いくら世界が希望に満ち溢れようとこのような国は、いらない、と―――」
「・・・」
「慈悲深き我が君。貴女自身の幸福は、一体何処に行ってしまわれたのですか?」
カタカタと震える指。
歩みを止めた時の川。
目の前を見据えれば、蒼天から光に満ち、生命を謳歌する世界―――しかし、大切な人が、いない世界―――。
私は約束した―――。
『大切な人をうしなわないような平和な国を、作る』と・・・。
「!・・・我が君、受け取ってくれるのですね」
ぱっ、と表情が明るくなる。が、しかし、竹簡を受け取ったの返答は意外なものだった。
「・・・有難う、柊。・・・でも、私―――・・・」
「・・・・・・」
「私はこの国の王。ここまで支えてくれた側近の皆の立場が・・・なくなってしまうもの。だから―――っ」
『ありがとう』
ただ一言だけ残して、は振り返ることも無く一目散に葬儀場へと駆け出した。
「・・・・・・。貴女は一体どこに向かおうと、しているのですか・・・?」
一人になった暗く静かな部屋で、柊はどこまでも切なげな表情を浮かべ、走るの背中を見つめていた。
続
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ようやく始まりました、再臨詔。
最初のシーンはなんとも欝なシーンですね。
私のなかのは、諦めきれないまま忍人の亡骸を抱いて泣き喚いている、しかし王としての自覚があるので、 (折角、そのために忍人は命を削ってまでも国を護ってくれたので)泣いてはいけない、と二つの相反する 感情にどうしようもなく打ちひしがれているイメージがあります。
けれど、平和で幸せな国は作ったけれど、大切な人がいない世界に意味はあるのでしょうか?
次回以降、が行動で示してくれます(笑)てか、フラグ簡単すぎやなお前wwと笑われてしまいそうなくらい ベタでみえみえですね。
でも、それが私の小説です。
しかしいっけんベタなんですが―――ちょっとしたどんでん返しが待ってるぞ、というようなお話にしてゆけたら、と思います。
さてハピエンに向かって頑張れ二人!
ということで、もしよければ応援してやってくださいませ〜^^
ではでは!
琴
12:16 2008/09/02